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2006年4月「ウブド村暮らし通信」

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04/01 「外こもり」人生

 日本では新年度の始まりですね。皆さん、職場など、変化はありませんか。角野さんが新しい大学へ移られますね。ご活躍を期待します。アドレスを変更しました。岩田さん、久しぶりですが、新しい職名になっていますね。近況など、また書き込んでください。
 さて、ウブドは今日も雨です。先月30日のニュピ以来、これで3日連続の雨空。黒雲が空を覆い日本の梅雨のように、しとしと降るかと思えば、突風が吹く嵐も。村の人の予測では、まだ数日続きそうです。
 今朝のバリ・ポストのトップ写真はデンパサール市の最も繁華な十字路の真ん中に「プチャラン」と呼ばれる村の警護役が2人、ぽつんと立つ、30日のニュピの風景でした。いつもなら車やバイク、人であふれ返る交差点の対照的な絵柄。 実は同じ構図を狙ってデンパサール市内のホテルに泊り込んだ日本人も、かつては居たのですが、外出を阻まれ果たせなかったというショット。羽賀さんが「優しく静かな世の中・・・」と書いていた具象でした。
 ニュピ以来、雨にも閉じ込められて、本を読んだりパソコンをいじったりしているうちに「外こもり」状態、と思わず一人で微苦笑しました。皆さん、外こもりという言葉をご存知でしたか?私は先日、友人が持ってきてくれた雑誌で初めて知りました。 日本では引きこもりが早くから話題になっていましたが、外こもりとは、外国の安宿の自室でマンガ本を読んだり、楽器をいじったりしながら終日過ごす人たちのことを指すのだそうです。現地の人たちとの交流は、ほとんどなく、たまに外出しても近くのスーパーへ食料品の買い出しに行くぐらい。大半の人たちは日本でアルバイトをしてお金を貯めると、国外に出て安宿に宿泊、前記のような生活を送り、お金がなくなると、日本へ帰り、またトンボ返りを繰り返すのだそうです。 数年、このような生活を繰り返している人たちもいて、中には、安宿で、その人たちのための食堂を開いた人もいるとか。
 先に吉田さんのチェンマイ報告にも「日本人の溜まり場でマンガ本を読みふける、前回と同じ人が居た」とありましたが、この人も、そうなのでしょうか。今、人気はタイのバンコク、そしてインド、ネパールだとも出ていました。 ウブドでも最近、リタイア組で広大なお屋敷を構え、お手伝いさんに囲まれて、ほとんど外出しないというような人も出現し始めています。
 バックパッカーの変形でしょうか。「外こもり」も人生なんでしょうね。

04/16 ボン村でのチャロナラン

 今朝も虹を見ました。6時半ごろ、テラスに出ると、南西の方角に、谷向こうの椰子の木の倍くらいの高さの切れ端が浮かんでいました。 時間にすると、数分で消え去りましたが、くっきりと鮮やかな瞬間を、見せてくれました。夜半の雨が上がり朝靄がたなびく日、時折、短い虹が出現しています。  昨日から周辺の田んぼで、一斉に稲刈りが始まりました。ビラ・ビンタンの前の田には、ブントゥユン村のおばさんたち5,6人が、暑さよけの菅笠、長袖、長パンツ姿で出動、にぎやかに、おしゃべりしながら刈り取り担当、籾落とし担当に分かれて手際よく作業を進め、1日で2枚の田を、すっかり裸にしてしまいました。 収穫した米は地主と耕作人が、等分に分け、刈り取り手伝いの人たちは応分の手間賃をもらい、それぞれが自家飯米にするそうです。
 作業中のおばさんたちに「どこ行くの?」「きれいにして・・・」などと、冷やかされながら儀式用の正装で、私たちは泊まり客の人たちも誘い合わせてボン村でのオダランに出掛けました。 ちなみにボン村はビラ・ビンタンのマネージャー、ボンさんの故郷です。ボンさんの本名はワヤン・ウイダナですが、通称ボンさんが通り名となり、今では、ボン村でもボンさんと呼ばれています。
 ボン村はウブドから車で1時間余りの山間部にあります。村の一角にある近在の村の共有のお寺が創立記念日を迎え、数日前から盛大なお祭りが始まっていました。 昨日は、最終日を前に芸能が奉納される日で、バリ島西部のジェゴグの本場ヌガラから、わざわざグループを招請し、奉納したのですが、午後7時から演奏が始まると、わらわらと聴衆が集まり、見回すと500人を優に超えていました。 グループも大張り切りで、2時間半、たっぷりと聴かせてくれました。そして、一服する間もなく場所を移して内庭でバロン(聖獣)とランダ(魔女)が闘うチャロナラン。 今夜は、戦士たちのトランス劇はなかったのですが、それでも大観衆の前で、観光用でない奉納芸を、たっぷり見せてもらい、これから4時間の道程を帰るヌガラのグループを見送って、家路に着いたのは11過ぎでした。

04/18 インドネシアのビザ

 西田さんからビザに関する問い合わせがありましたので、改めて長期滞在のビザに関して報告します。 確かに最近、タイやマレーシアは観光政策に力を入れ、ロングステイにも優遇政策を実施しているようですが、インドネシアは少し考え方が違うように思います。
  バリ島の長期滞在者に最も多く取得されているのが「ソシアル・ブダヤ・ビザ」で、文化交流や親戚、友人訪問が目的になっています。私もこのビザで長期滞在しています。 シンガポールはじめインドネシアの在外公館で取得して入国すると、最初は2ヵ月、そして、その後は1ヵ月ごとの更新で最長6ヵ月の滞在が可能です。 期限が来ると、いったん外国へ出て、再度取得して入国します。切り替えは何度でも可能です。
 日本からバリ島へ、最初は観光ビザ(1ヵ月有効)で入国し1ヵ月以内にシンガポールなどへ出てソシアル・ビザを取得する方法だと、合計およそ7ヵ月の滞在が可能になります。 このビザが日本で取得できれば便利なのですが、なぜか、出来ないのです。東京では一部、取得可能という情報もあるのですが、大阪の領事館では全くダメです。 (余談ですが、インドネシアの領事館は震災前まで神戸にあったんですか?私は迂闊にも知りませんでした)
 このほか1年間有効のリタイア・ビザがあり、5年間更新可能です。ただ取得の条件や更新料、出国の際の手続き、料金が複雑で、今のところ多くの人が二の足を踏んでいます。 またビジネス・ビザは1年間、6ヵ月有効のものがあります。
 いずれにしても、取得の際の手続きが、お国柄でしょうか、まちまちで、滞在者は、寄ると情報交換に一生懸命です。

04/22 ブサキ寺院で参拝

バリ・ヒンズーの総本山ブサキ寺院のオダラン(創立記念日祭)へ、昨日、行ってきました。 14日から23日まで10日間にわたって行われている同寺院のオダランには、バリ島ヒンズー教徒の8割がお参りするといわれているので、延べ数百万人の人がアグン山(3,142m)の中腹にある同寺院(標高約1,000m)へ参拝に訪れる訳で、この日も内庭、参道は人であふれていました。
 同行はビラ・ビンタンのスポンサーの一組夫婦と長期滞在中の東京の男性、運転はスウェチさん、ボンさんとカフェ・ビンタンのサミーさんが随行でした。 往路はウブドからキンタマーニへ向けて北上、バトゥール湖の手前で右折し湖を左に見ながら山道を東へ進み、同寺院の西参道から入りました。
 「ブサキ寺院」と通常呼ばれているのは、中央の総本山にあたるプナタラン・アグン寺院と周りを取り囲む20余りの寺院の総称なんですね。 お参りに訪れた人々は、まず自身のカースト寺や出身地、職業集団など属するグループの寺院に参拝した後、本山でお祈りを捧げます。 私たちもスウェチさんたちと一緒に、カーストのスードラ寺院に参拝した後、中央のお寺へ移動し、僧の聖水を受けました。
 中央、西の参道の途中にある駐車場は車、バイクでぎっしり。大型観光バスも数百台が参拝の人を運んでいます。 このバスは小・中・高校生や村ごとにチャーターされたもので、この期間、一般の観光客用のバスがなくなるのではと心配されるほどです。
 帰路はアンナプラ(クルンクン)へ下り、コウモリの寺、ゴア・ラワ寺院の近くのワルンで、魚のサテ、ペペスという魚のすり身の蒸したもの、魚スープなどの昼食をとってきました。 ご飯、野菜、豆もつけた1セットが約1万ルピア。大もうけの気分でした。
 今の時期、ブサキはじめ各地の大きなお寺で祭礼が行われており、これが終わると、いよいよ5月3日から始まるガルンガン(日本の仏教で迎え盆のような行事)クニンガン(送り盆)へ向けて準備が始まります。

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