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2005年10月「ウブド村暮らし通信」

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10/02 ウブドでは稲刈りも

 皆さん、Villa Bintang Ubudの光森史孝です。〝神々の島〟で、また悲しい事件が起こりました。まだ詳細は不明ですが、多くの方が亡くなられたことに心が痛みます。
 首都ジャカルタ発では、10月はテロを警戒していたとか、10月1日からガソリンが値上げされたので、何か起こるのではと警戒していたとか、様々にいわれていますが、少なくともバリ島では、この日、平穏な雰囲気だったようです。
 電話で、数人の人たちに様子を聞いたところでは、ヌサドアのグランド・ハイアットで、毎年恒例のバリ島日本人会主催の盆踊り大会が開かれ大勢の人が集まり、パーティーに興じていて、その中には、現地の警察幹部、日本領事館の人達の姿も見られたと参加した人たちが話していました。 警戒体制なら、そんな催しが開かれるはずもないしねという感想です。
 爆発があった「カフェ・ラジャ」は、スーパー「マタハリ」のすぐ隣り。クタでも一番、にぎやかな通りです。ジンバランのカフェも、ホテル「フォーシーズン」の近くで、最近は店も多くなっていました。 そんな繁華街の真ん中で爆発が起こり、これでまた3年前に逆戻り、お客さんが1人もいない日が続く、と地元の人たちは一様に嘆いていました。 観光で暮らしている多くの人たちには、しばらく厳しい生活が続くのではと心配です。
 一方、ウブドは変わらぬ日常の生活のようです。ビラ・ビンタンの近くの田んぼで稲刈りが始まり、お寺のお祭りの準備や、お葬式の儀式が行われ、普段通りの村の生活ですよ、とカデさんたちの報告です。
 今後、バリ島がどのように立ち直っていくのか、見届けるため、私は予定通り14日にウブドへ帰ろうと思っています。

10/03 平静さ保つ町

 皆さん、Villa Bintang Ubudの光森史孝です。西田さんのメールにもありましたように、報道されているより現地では冷静なことが多々あるんですね。私の親しいバリ島駐在の日本の旅行代理店幹部の方から情報が入りました。
 クタ地区では、爆発のあったクタ・スクエア一帯は南北200mぐらいが封鎖されていますが、それ以外は平常通りで平静さが保たれているよう。ただクタ海岸など人通りは、やっぱり少ないようです。 旅行社各社の観光ルートではないので、影響は少ないと見ています。
 ジンバラン地区で爆発があったのは、高級ホテル「フォーシーズン」へ向かう道路沿いの十数軒あるレストランのうち「メネヤンカフェ」など3軒。 フォーシーズンへの道路は閉鎖されており、迂回している状態。現場はジンバランのシーフード・レストラン通りのうち一番南のエリアで、私たちがよく利用する空港に近いエリアとは1,5キロくらい離れています。 他のエリアは平常通り営業していますが、やっぱりお客さんは少ないようです。
 国際空港のングラライ空港は平常通り平穏に運航が行われています。ホテルでは、入館の際のチェックが従来に増して厳しくなっているそうです。 クタ地域や他の地域でも平静さが保たれているようですが、夜間はクタスクエア周辺やレギャン通りで、人が多く集まるディスコ、ナイトクラブなどには、近づかないようにと注意しています。
 2002年の爆発の時もそうだったのですが、クタなど国際都市化した南部の繁華街は別にして、ウブドなど中部、北部、東西部の大多数のバリ島は、静かでした。 今回も同じような状況がうかがえます。
 人が多く集まる国際化した観光地の都市部は世界中が〝危険地帯〟の状況ですね。藤井さん、東京も気をつけて。

10/13 明日出発します

 皆さん、Villa Bintang Ubudの光森史孝です。明日、出発します。
 ボンさんからメールが来ました。「お父さん、ビラ・ビンタンの前の田んぼは、稲刈りが終わってしまったよ。残念ね」-いやー、ちょっと殺風景になります。
しばらく訪問客には悪いですが・・・・
 昨日、クタの前回の爆弾テロの跡地に建てられた碑の前で、慰霊祭が行われ、大勢の人が集まったようです。
犠牲者が最も多かったオーストラリアから外相も訪れ、碑の前で祈ったそうです。ボンさんもクタにいて、今回の爆発の現場前を通ったところ、隣の店は普通に開いていたよ、人通りは少し少なかったけど、うろうろしている人たちもいたし・・・といってます。
 昨日、デンパサールでは、前回の犯人とされる男たちが収容されている刑務所の前で、バリ島では珍しいデモがあり、警官と少しもめたという報道がありました。 宗教をめぐる対立、それも感情的な対立にならないよう祈っています。
 ボンさんは先日、お客さんと一緒に、シーフードの店が並ぶジンバランへ食事に行ってきたそうです。 いつもボンさんや私たちが行く店は、爆発があった店から1.5キロぐらい離れているのですが、お客さんは、やはり少なかったみたい。 でも、地元の人たちは、大勢来ていたよ-という報告でした。
 ともあれ、明日以降、できるだけバリ島の様子を報告します。では・・・・

10/16 久しぶりのバリはクニンガン

 皆さん、Villa Bintang Ubudの光森史孝です。おはようございます。ウブドへ帰って、3日目の夜明けです。既に雨季には入っていますが、小雨がぱらつく程度、昨夜は真ん丸のお月さんが輝いていました。日本では十三夜ですか。
 昨日、15日、こちらはヒンズー教の儀式、クニンガンでした。日本でいえば送り盆の日。島中の人たちが正装して、お寺へお参りし、“里帰り”されていたご先祖様を丁重に天界へお送りする日でした。 私は、今回、一緒に来た友人8人とキンタマーニ、タンパクシリン、ゴア・ガジャを回ってきましたが、道路には人があふれ、お寺も次々と訪れる人たちで大混雑でした。キンタマーニのレストランでも、日本人、欧米人、台湾の人で、ほぼ満席。夜はウブドのタマン村のケチャダンスを観にいったのですが、ここも100人ばかりの見物客で、ほぼ満席状態でした。
 クタ、ジンバランで爆弾テロが起こって、ちょうど2週間目のバリ島。3年前の爆弾テロ直後のバリ島の物心両面の落ち込みがひどかっただけに、今回も、相当、覚悟はしてきたのですが、意外にあっけらかんと、いつものバリの生活が進行しているのに、ホッとするやら、拍子抜けするやらの複雑な気分です。
 私たちの出発は14日。午前11時、関空発のガルーダ883便で、午後5時前、バリ島ン・グラ・ライ空港に到着しました。飛行機は、さすがに空席が多く、搭乗率は30%くらい。おかげで4人がけの座席にゆったりと寝そべり、お得意の昼寝をさせてもらいながら、バリへ運んでいただきました。 成田から到着した人に聞くと、そちらは4割ぐらいの搭乗ということでした。空港は関空、ウン・グラ・ライ空港とも、いつもの警備状態と変わらず。ただ、私たちのグループが、焼酎の過剰持ち込みで別室に呼ばれ、4本をバケツに放出させられたぐらいでしょうか。
 南部の海岸地帯は、まだ実際に見ていないので、何とも言えませんが、ウブドで見る限り、今回の事件は前回ほどのダメージになっていないように思えました。ウブドの人たちも、割合、気にせず海岸地帯へ出かけているようでもああります。
 私がマスメディアのことを言うのも変ですが、日本にいて、連日のメディアのフレームアップで、生々しい事件現場と負傷者のアップばかりを、これでもかと見せられていた現実と、少し違うシーンもあることを改めて感じた次第です。

10/19 いつものクタでした

 皆さん、Villa Bintang Ubudの光森史孝です。昨日、クタとジンバランへ行ってきました。友人たちを空港へ送る途中、デンパサール市内を車で通り抜け、クタへ入って3年前の事件の慰霊碑の前を通り、爆弾テロのあった「ラジャ」の前を過ぎ、海岸で一休み。
「ラジャ」は板囲いがしてあるだけで、店の改装中といった雰囲気。両隣りの店は普通に営業していて、散策している人、車の渋滞は、いつものクタでした。やれやれという思いと、少し拍子抜けの感じも。人出は、やはり欧米人観光客が少ないかなという感じですが、海岸では、ジャワ島から休暇に来ている団体客が大勢、はしゃいでいました。
 ジンバランは、空港に近い、魚市場をのぞいた後、いつもの「ウルワツ・カフェ」へ入りました。爆弾事件のあったレストランからは1.5キロほどの距離。海岸を埋めたテーブル席のずーっと先にあります。報道では、ホテル・フォーシーズンの近くと繰り返されたのですが、本当はホテル・コンチネンタルのすぐ隣り。 なぜでしょうね-と地元の人たちが不思議がっていました。定番の夕日を見ながら、美味しい焼き魚、イカ、えびをお腹いっぱい食べて、友人たちは帰国の途に着きました。
 今回の訪問客、実は神戸新聞・デイリースポーツのOB、現役7人と、その友人1人の計8人。いずれも、かつて私と一緒に社内の演劇サークル「劇連Q」に加わっていたメンバーです。中に、ひょっとしてデイリースポーツの紙面でご覧になった方もあるかもしれませんが坂本昌昭という男がいます。 週に1回、「元気!」のタイトルで日本の職人さんや、職人気質の芸人のインタビュー記事を1ページ分、連載中です。三国連太郎や岸田今日子、岸部一徳など、独特の個性をユニークな語り口でつづっています。機会がありましたら読んでやってください。
 この一行、大興奮、大喜びで、ウブド生活を満喫し、また来ると村の人たちに言い置いて帰りました。故郷の思い出につながる暮らしが今もウブドにある、と。ケチャやジェゴグの観賞もさりながら、ブントゥユン村の人たちと、食べ、飲み、踊り、歌った一夜が、とりわけ印象深かったようです。 爆弾テロだけでないバリ島の文化の奥の深さを一人でも多くの人に知ってもらいたいと願っている私にとっては、何よりの感想でした。

10/23 アンテナ通信でスピードアップ?

 皆さん、Villa Bintang Ubudの光森史孝です。10月にしては、雨の多いウブドでしたが、今日の日曜日は久しぶりに、スカッと晴れた気持ちのよい一日でした。 いま、一人で遊びに来ている島村さん(オフ会には2回とも顔を出していたので、顔なじみの人も多いと思います)が、生まれてはじめてのダイビングに挑戦する日だったのですが、「私は晴れ男ですよ」との予言通りとなりました。
 ダイビングはバリ島の東端、アグン山の東ふもとの海岸、トランベンまで、ウブドから車で2時間かけて出かけていったのですが、行ったかいはあったようで、大変楽しかった-と帰ってきました。ただ日ごろ、使わない筋肉を使うので、疲れました-とも。 夜はブントゥユン村のジェゴグ観賞で、充実した一日を過ごした様子です。
 ビラ・ビンタンのすぐ北隣りのホテル・ワカデウマの前の田んぼでは、子どもたちが終日、サッカーに興じていました。 鳴り物入りで、にぎやかな歓声が聞こえていました。
 今日午後、コンピュータが突然、停止をして一瞬、冷やりとしましたが、たいしたことなく修復し、やれやれです。
コンピュータに関しては、娘や息子にSOSをいれるか、ウブドで一番大きなプロバイダー会社の社長、ハスブラさんに援助を求めます。今日も携帯で連絡したら、今朝6時まで仕事をしていて、まだ寝ているとのこと。 夕方には、手が空きそうなのでビラ・ビンタンへ行くと返事をしてくれたのですが、なんとか自力解決で、ハスブラさんを煩わさなくてすみました。
 ハスブラさんは、いろいろ新しい取り組みを紹介してくれるのですが、今回は、無線通信で速度を早めようと提案しています。 コテージに10mほどのアンテナを立て、ハスブラさんの会社「ウブド・ミュージック」に立っているアンテナと通信すると、現在の28kぐらいの速度が4倍にはなるというのです。 アンテナの費用は10万円くらい。これで各部屋にハブを通してラインを引くと、各部屋でインターネットができるコテージになるよとのお勧め。 この手のことに詳しい市成さん、奈良さん、どんなもんですかね。

10/27 お獅子の宮入り

 皆さん、Villa Bintang Ubudの光森史孝です。ロッテは「あっぱれ」ですね。
 バリは島をあげてのガルンガン(日本の迎え盆のようなヒンズー教の儀式)クニンガン(送り盆)が終わり、今度は各地域でオダラン(村の寺院のお祭り)の季節を迎えています。 ここ1週間ほど、島のいたるところでお祭り風景が見られました。ウブドでは市の中心部のウブド地区のプラ・ダラム(村の死者の寺)で祭礼があり、お付き合いのある村々から、大型の獅子舞のようなバロン(聖獣)やランダ(魔女)を担いだ人々が続々と詰め掛けます。ちょうど日本の屋台の宮入りのような光景です。
 私もブントゥユン村に安置しているバロンとランダを担いだ行列の仲間入りをしてウブドのお寺まで、約4キロを歩きました。参加した村の人は小さな子どもから成人まで約500人。全員、正装して、こちらのお寺でお祈りをした後、サクティ通りを、ビラ・ビンタンの前を通って南下していきます。 ガムランの「じゃんじゃん、じゃかじゃか」の音響とともに行列が王宮前のあたりに差し掛かると、ウブド地区から、お迎えの楽隊と人々が待ち受け、一緒に王宮前の十字路を右折、ラヤ・ウブド通りを西へ進んで、お寺に到着。女性グループのガムランの演奏の中、中心の祠の前でお祈りを捧げ、バロン、ランダは数日間、ここに安置され、祭礼を見守ります。ブントゥユン村に続いて、タマン村、クトゥ村などのバロンも到着、深夜まで、にぎやかな音声や調べが風に乗って、ビラ・ビンタンまで届いてきました。
 余談ですが、ウブド地区に最も近いパダンテガール村のバロンが、なぜか、この仲間入りをしていません。コミュニティとして、独立意識の強いパダンテガール村の物語は、また別の機会に譲ります。

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