02/01 イカン・バカールの宴
バリは雨季特有の瞬間集中豪雨とカッと照りつける太陽を繰り返しています。昨日は2度、豪雨にあいました。一度は南部の最高級リゾート地、ヌサドア近くのホテルで昼食中、2度目はウブドへ帰って夜、イカン・バカール(焼き魚)の宴をやっている最中です。激しい吹き降りでオープンな建物の中ほどまで吹き込んでくるぐらいでした。さて、昨日、日本の友人に紹介され、バリ島南部のヌサドア近くでホテルを経営しているという日本の人に会いに行きました。たまたま隣のビンタン・パリに大手の会社を早期退職した3人の男性が長期滞在中で、この人と同じ会社だったことが分かり一緒に南部へ出かけることにしたのです。ホテルは親戚3人が億単位のお金を共同出資しバリの人1人と会社を作り10年前から営業しているそうで、計10室と小ぶりですが、ゆったりした敷地にコテージ、スパの施設、プールなど、きめ細かな目配りをした洒落たホテルでした。敷地内の趣向を凝らした自宅も見せてもらい、タイ料理が自慢のレストランで食事をしてきました。
帰途、ジンバランの魚市場に寄り、魚を仕入れました。ここのイカン・バカール・レストランについては、(04.08.27)のウブド村暮らし通信「ジンバランの夕日と魚」に書きましたが、その北の端に市場があり、たくさんの新鮮な魚を売っています。50cmはあるマナガツオやタイのような魚、小ぶりなカツオなど15kgあまりと小さなイカ、生きたエビなどを買いました。計30万ルピア(約3,500円)。ビラの駐車場にレンガを積んで急ごしらえのかまどを作り、椰子殻の炭で、網をのっけて開いた魚を焼き上げ、約10人の宿泊客やスタッフ10人余りでぺろりと平らげ、ボン、プトゥ、ニョマン、ルビさんのティンクリットの演奏もあって、みんな心地よく酔った一夜でした。
02/05 ソシアルビザを取得
シンガポールでインドネシアの滞在ビザを取得してきました。私の場合は「ソシアルビザ」と呼ばれるもので、このビザの目的は文化や芸能の交流を通じて友好を深めるというものです。参考までにインドネシアのビザの内容を記しておきます。最も簡単に取得できるのは観光ビザで、手続きは不要です。だれでも入国の際、US$25を支払えば30日間の滞在がOKとなります。ほとんどの観光客はこれで入国し、出国すれば、また新規に25$を払って、やり直しとなります。去年2月までは入国手数料は無料で60日までOKだったのですが、法律改正で現在のような形になりました。
私の場合は、とりあえず観光ビザで入国し30日以前にシンガポール(どこの国でもいいのですが・・・)へ出国、そこのインドネシア大使館にソシアルビザを申請し60日間の滞在許可をもらってきます。そして入国し、60日を経過する期限前にバリの領事館に延長を申請、計4回の延長が可能ですので、合計約6ヵ月間、出入国の移動なしで過ごせます。さらに居続けるには、いったん出国して外国でビザを再取得し再び入国します。こうすると半年に1回、近くの外国へ出て(もちろん日本も含めて)トンボ帰りするだけで、ずーっと滞在が可能になるので在住の日本人の多くは、この方法をとっています。
自分で手続きできない人や面倒な人は、費用さえ負担すればエージェントが一切をやってくれます。ただ、1回の取得に4-5万円の費用がかかりますが・・・。それと申請にはインドネシアの人にスポンサーになってもらって身分証明書のコピーを必要とします。日本で取得できれば簡単でいいのですが、どうもうまくいかないようです。
他にシングルビジネスビザ、マルチプルビジネスビザ、ワーキングビザ、リタイアメントビザなどがあり、おおむね有効期限が1年で更新手続きさえとれば数年間OKということです。それぞれの個人的な事情に応じてビザを取得していますが、結構、手続きが面倒なことと多額の費用が掛かることなどから敬遠している人が多いようです。私たちも今後、リタイアメントビザが簡単に取得できるようであれば、検討しようかなとは思っています。
シンガポールの食の模様などは改めて・・・・・
02/14 鈴木さんの誕生パーティー
昨夜、鈴木靖峯さんの67歳の誕生パーティーがビラ・ビンタンの食堂と内庭で開かれました。鈴木さんについては、ウブドへ来られた方はよくご存知ですし、一緒に暮らしておられた京都の随筆家・故大村しげさんの著作にも再三登場、このウブド村暮らし通信でも何度か書いていますが、改めて紹介します。ウブド在住27年、日本人の最古参で現在はバリ島日本人会ウブド代表。多趣味多芸の人で、面倒見がよく、ウブドでお世話になった人が大勢います。私たちもコテージを作るにあたって全面的に世話になりました。日本でバリ島のことがあまり知られていない時代、芸能や文化の紹介に力を注ぎ、また地元でも、子どもたちの力を伸ばす活動に取り組んでいます。
ウブド近辺の子どもたちの絵画作品を毎年、募集し優秀作品をインドネシア独立記念式典で表彰、その一部を最近まで隣のビンタン・パリのレストランに展示し「子どもギャラリー」として有名でした。8月に行われる子ども凧揚げ大会のスポンサーとなり、子どもたちの工夫を凝らした入賞凧が今もカフェ・ビンタンに飾られ、訪れる外国人に人気です。
最近はジェゴグの発展に力を入れています。ヌガラでしか聞くことが出来なかったジェゴグですが、ウブドの青年たちでグループを作り楽器を提供したのが鈴木さん。このグループが成長し2代目のグループが近くのブントゥユン村に誕生。前にも書いたように縦に並べた巨大な竹の楽器で人気を呼んでいます。さらに3代目の「ミニ・ジェゴグ」グループも最近、練習を始めており、そのうちデビューすると思われます。
そんな鈴木さんのパーティー。内輪でやろうという計画でしたが、いつの間にか日本人が20人、スタッフが20人、ブントゥユン村のミニ・ジェゴグのメンバーが25人と60人を超える大盛況。ケーキにろうそくをともしてスタッフやグループメンバーが登場、バリ独特の花飾りも添えられ、次々と鈴木さんの手に。バリ料理を山盛りにした中に私の「手抜きうどん」のすきやき風も加え、おなかいっぱい。宴たけなわになるとジョゲット・ブンブンで、華やかな踊り手に観客が次々に呼び出され一緒に踊り、盆踊り風、ロック風などに大笑いしました。最後は、やっぱりジェゴグ・リーダーのスウェチさんにそそのかされて、私のケチャ迷演?をやってしまいました。そしてみんなの五本締めで終了は11時近くでした。
バリ島の日本人の足跡について、鈴木さんのように最近の人は分かりますが、少しさかのぼると、まだまだ不明な点がたくさんあります。石井さんに情報提供していただきましたが、少しずつ前進できればと思っています。ご協力をよろしくお願いします。
02/19 久しぶりのケチャ
久しぶりにケチャ・ダンスを観てきました。タマン・カジャ村に新しいケチャ・グループが生まれ去年11月から公演しているというので初めて観に行ったのです。場所は、このビラ・ビンタンの東側、谷をはさんだ向かいにタマン・カジャ村があり、よく行く「カフェ・タマン」のすぐ北の村のお寺、プラ・ダラムが公演会場です。間違えて午後7時半開演のところ、6時半に着いたのでカフェ・タマンで早めの夕食をしていたところ、オーナーが現れ「東京のテレビで見たとお客さんがたくさん来てくれた。ありがとう」と、特製のイカのてんぷらをサービスしてくれました。
ケチャの会場はお寺の門をくぐった、すぐの内庭。中央にかがり火がたかれ観客席は左右にテント張りで設けられていました。誕生間もないグループらしく、チケット売りや案内役の青年たちが初々しい好感の持てる対応でした。観客は約50人、大半が欧米人、日本人はちらほらでした。
ケチャは、ご存知の通り楽器を使わず、100人近い男声合唱で「ラーマーヤナ物語」に題材をとった舞踊劇が進行するものですが、力強い歌唱はなかなかのものでした。ハヌマン(白い猿)や大王の所作など、ところどころに新しい趣向があり、他のグループとの違いも見せていました。もう一つ、トランス状態の男性が馬をかたどった飾りにまたがり、真っ赤な椰子殻の炭を蹴散らす「サンヒャン・ジャラン」という出し物があるのですが、あいにく、このころから本降りの雨になり、炭が消えてしまうハプニング。観客席はテント張りなので大丈夫ですが、演者はずぶ濡れの熱演で、大きな拍手が長く続いていました。
今やすっかりバリ島の伝統芸能のようになっているケチャ。実は現在のような形で観光客に見せるようになった歴史は新しいのです。1930年代、それまで奉納芸能の一部として演じられていた男声合唱を映画「デーモンの島」のためにアレンジしたのが当時、ウブドに住んでいたドイツ人の画家ウォルター・シュピース。以後、その形がショーアップされて現在にいたっています。
ケチャ・グループは老舗のプリアタンやパダンテガールが有名ですが、ウブド、ジュンジュンガンのほかバトゥブラン、デンパサールなど今では10近くのグループが公演するようになり、この近くのウブド・カジャでも最近、熱心な練習が始まっています。そのうち公演開始となるのでしょう。こうした傾向に観光優先と目くじら立てる人もいますが、私は新しい動きと伝統、神への奉納と観光による生活をうまく融合させるバリの人たちのたくましさに拍手をおくりたいと、常々思っています。
02/22 盆と正月が一緒に
「盆と正月が一緒に来たような忙しさ」という例えが日本にありますが、バリ島では、本当に盆と正月が一緒に来るのです。今年はバリの暦のめぐり合わせで、3月に行われる「ニュピ」(新年)の行事と210日の暦で回っている「ガルンガン」「クニンガン」(先祖の霊を迎え、送る、ちょうど日本のお盆のような行事)が重なることになりました。ガルンガンは3月9日、それから10日後のクニンガンは19日。そしてその間の11日にニュピという組み合わせです。バリ・ヒンズーの教義に基づき、全島あげて、それぞれに多彩な儀式が行われますが、それについては、改めて報告します。今日は、それらの宗教儀礼の日を定めたバリ独特の暦とカレンダーについて、少し書きます。
バリを訪れた人は、お店や家庭に必ず張ってあるバリ・カレンダーを目にしたことがあると思います。白地に赤と黒の2色刷り、A3くらいの大きさ、細かな文字がびっしり書き込まれたものです。ここには実に多様な情報が盛り込まれています。
まずバリの暦に基づいた各種の宗教儀式の日。例えば新月から新月までを1月とし12ヶ月からなるサカ暦。ニュピは、この暦に基づき定められています。曜日が複雑に入り組み210日を1年とするウク暦。ガルンガン、クニンガンはこの暦を基に決まってきます。カレンダーには、これに加えて西洋暦、イスラム暦、仏教暦などが書き込まれており、曜日の表記には、バリ暦、イスラム暦と日本語の曜日がローマ字で書いてあるのには驚きました。
このカレンダー、バンバン・グデ・ラウィさんという人が1950年に初めて作り後にヒンドゥー教評議会の要請で作成されるように、今ではバリの人たちの生活必需品に。カレンダーの余白に氏の写真が掲載されています。他にも同様のカレンダーが発行されているようですが、やっぱり氏のカレンダーが最も人気があるそうです。
02/26 バリの不思議
「不思議の島」とかいわれるバリ島ですが、このところ島のあちこちに不思議現象が起こってバリの人たちの話題を集めています。お寺の祠や各家の門柱などに白いマーキングが出現しているのです。マークは十字であったり、神様を現す印を簡略化したもの、横棒だけ、指をなすりつけたような斜線が一本、時に二本、白いチョークで描いたようなものが人の知らない間に出現し、だれも、それをマークした現場を見ていないという不思議現象です。
出現している場所は、デンパサール、ウブド、ヌガラ・・・・と、ほぼ全島にわたっています。デンパサールで、さる警察の幹部の自宅2階にマークがあり、警察も捜査に乗り出した-と新聞、テレビが報じ、口コミの騒ぎから公開の騒動へと発展しています。身近なところではビラ・ビンタンの門柱、ボンさん宅の祠、カデさんの村のヌガラのお寺にもマークが発見されました。
人の手が届かない高所や、犬が居る家の中などで発見されているため、バリの人たちは、気味悪がって、話を聞いただけで寒気がしたり、吐き気を催した-といった人たちもいます。もともと、バリでは悪魔や霊に対して強く反応する土壌があり、この現象は、地震や大雨などが続いたインドネシア各地の災害がバリ島にも及ぶという警告ではないかと恐れている人たちもいます。一方で、白は「善」なので、良いことがある-という人も・・・・
こうした時、道を教示するプダンダ(高僧)は「動揺しないように。最近、バリでは、いろんなバランスが崩れている。もっと神へ近づくために、お祈りをしなさい」と御託宣があったそうです。時に「盆と正月」が一緒にやってくるガルンガン・クニンガン、ニュピが近づいており、人々は、それもそうだ、と儀式の準備に一層、力を入れることにするそうです。
「だれかのいたずらだろう」と、日本人は冷めた見方をしていますが、何かが起こる霊の強い島。さて、この現象は何を示そうとしているのでしょうか。