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2005年12月「ウブド村暮らし通信」

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12/12 領事館へ格上げ

 日本国を代表する大使館、総領事館が世界各地にありますが、バリには州都デンパサールに「スラバヤ領事館在デンパサール駐在官事務所」というのが、あるだけでした。
日本人が多く住み、観光客も多い割には手薄な感が否めなかったのですが、ようやく総領事館へ昇格することが決まったようです。  2006年1月1日、スラバヤの管轄から離れて東京に直結、バリ州とチモールやイリアンジャヤなど東西のヌサ・トゥンガラ州を管轄することになり、総領事が赴任、現在の日本人スタッフ5人に加わり、現地スタッフも11人から3人プラスになると昨日、ウブドを訪れた野村・筆頭領事が話していました。
 余談ですが、野村さんは東南アジア駐在が長く、子息もジャカルタの国際学校で学んでいたと話していました。この息子さんがミュージシャンで先日、デンパサールで開かれたジャズ・フェスティバルにグループを率いて出演、ついでにウブドのシロウさんのバー「ラビアンローズ」でライブをやってくれました。
幕間にシロウさんが、いつもの「荒城の月」を歌い、うちのカミサンも引っ張り出されて、なにやら難しげな歌を歌ってました。野村夫妻も、それぞれに1曲ずつ披露、私たちの仲間の中田夫人と私は飛び入りで「六甲おろし」をやらかしてきました。  野村領事の本題は、ジャカルタから大使館の医務官を伴い、東南アジア各地で流行の気配を見せている鳥インフルエンザについて、予防など注意を呼びかけるものでした。WHOの統計によれば、ベトナム、タイ、インドネシア、中国、カンボジアなどに被害が及んでおり、バリでは現在、被害はなく、差し当たり急な対策ではないが、情報にはじゅうぶん注意してほしいというものでした。

12/18 ウブドの朝靄

 ウブド。朝6時。緑の濃い谷間に広がる朝靄。東の空は赤く染まり始めています。やがて、椰子の木やバナナの葉、茅葺の屋根をシルエットに、太陽が少しずつ顔を出し、朝焼けが広がります。 西の空を振り返ると、バトゥカウ山など2千m級の山の連なりの上に大きな虹。ドイツ人画家ヴァルター・シュピースや、あまたのバリの画家たちが描くバリの風景の出現。「ビラ・ビンタン」の前の道路、スウェタ通で晴れた日には見られる風景です。
 6時前になると、クロが身体をぶつけてベッドを揺すります。放っておくと足元に伏せて「ワンッ」と大声で叫びます。頭をなでて「まだ早いよ」と言うと納得したように外へ出て庭を一回りしてくると、また同じことの繰り返し。 3回もやられると、完全に目が覚めて、通りへ散歩に。すると、この風景にお目にかかれるという次第です。
 通りでは、さすがに近ごろは「牛を引く農夫」の姿は見られませんが、田んぼへ向かう、おじさんがやってきて、いつも「ク・マナ?(どこへ?)」と聞きます。 「ジャラン・ジャラン(散歩)」と決まり文句を答えると、ニッと笑ってハイタッチをして通り過ぎます。やがてバイクの後ろに奥さんを乗せた、おじさんたちが行き交い始めます。ウブドの王宮の前の朝市へ一日の食べ物を買い出しに行くのです。 次はバイクの後ろに2人、3人と小・中学生を乗っけたお父さんたち。そして通勤の若い人たち、自分でハンドルを握る中・高校生たちが姿を見せると、村は一気ににぎやかになります。
 部屋へ帰ってテラスの寝椅子で一服していると、アヒルたちが勤務につき、おじさんやおばあさんたちが、田起こしを始めています。 そして、ワヤンさんが大きなざるに盛ったお供えを敷地内の祠や地面に、あでやかな手振りで供えて回ると、ウブドの一日の始まりです。

12/19 友の転生に合掌

 私の目をバリへ向けてくれた友が亡くなりました。その名は、小倉三千雄さん。20数年前、全国の大手・中小の新聞社で働く人たちの労働組合の連合体、新聞労連の〝大書記長〟だった小倉さんと知り合いました。
その後、新聞のOBたちが、偶然出会った人たちを核に親睦のグループ「たまたま会」を作り、その事務局長を、現在まで続けてくれたのが小倉さんでした。
 10数年前、群馬の高校新聞部の同級生だったという鈴木靖峯さんを紹介されました。鈴木さんは永年、バリに住み、バリの文化を日本に伝えるため布や工芸品の展示会を神戸で開くPRの依頼でした。 この〝出会い〟以来、私たちはバリにはまりこんで今日に至っています。小倉さんも二度、たまたま会メンバーを率いてビラ・ビンタンへ泊まりに来てくれました。
 昨日、ウブドの目抜き通り、モンキーフォレスト通にあるホテル「コマネカ・リゾート」で、ピアニスト・井上和恵さんの演奏会がありました。 会場となったロビーのグランドピアノのすぐ横に、大きな造形が飾ってありました。床から天井まで、螺旋階段のように藁敷きのスロープが作られ、その上に粘土細工のような約千体の人形が、ぎっしり頂上を向いて並べられていました。高さ20cmほどの人形は、下の方は世界各国の民族衣装に身を包んだ人々。中ほどから衣装や皮膚の色が少しずつ薄れ、頂上では全員が、ほぼ真っ白。天国へ向かう人の一生の姿だと、だれかが解説していました。
 バリでは、肉体は滅びても魂は不滅で、亡くなると神様になり、また生まれ変わると信じられています。だから葬儀もにぎやかに、華やかに行われます。
 井上さんのドビュッシーやウェーバーの曲に、降り始めた雨音が混ざる、バリらしい雰囲気の中、小倉さんのことを思い出しました。
 今日は、小倉さんの告別式。バリの空から、小倉さんの転生に、合掌。

12/23 ニョマンさんの結婚式

 ニョマンさんが結婚しました。といっても、どこのニョマンさんか、分かりませんね。ワヤンさん(1番目と5番目の子どもの名前)ほどではないにしてもニョマンさん(3番目と7番目の子どもの名前)は、ごまんといますからね。
 ビラ・ビンタンのスタッフ、いつも当直勤務をしてくれていた、ニョマンさんです。36歳。少し遅咲きでしたが、見事に大輪を射止めました。友人に紹介された人に付き添ってきた人が気に入って交際を実らせたということです。 スタッフや村の人たちに冷やかされて、恥ずかしそうにしていたのが、今日は、一層、緊張して、固まっていました。
 式はギアニャール県ムダハ村の自宅で午前8時ごろから始まりました。家の中央にある、吹き抜けのミーティング・ルーム風の建物に祭壇が設けられ、その前と周囲で、様々な儀式が行われました。 プマンク(寺僧)の先導で地の神様やご先祖様に結婚を報告し、ニョマンさんと兄さんがポトン・ギギ(削歯儀礼)を受けました。バリの通過儀礼の一つで、尖った歯のままでは動物に生まれ変わるということで、平らに削る儀式を一生のうち一度は行います。結婚式の時にやる人も多いようです。
 そして、いよいよプダンダ(高僧)の登場。壇上の祭壇の前に座り二人に聖水を授け、ファミリーともども祝福のお祈りをして、無事、式は終わりました。この後、ニョマンさんのファミリーはデンパサールのお嫁さんのニョマンさん=スリアニ=の実家を訪れ、お嫁さんが家の祠に結婚の報告とお別れの儀式をして、再びニョマンさんの家へ戻り、午後4時から、村中の人たちが詰め掛けるパーティーを行いました。 この間、村の人たち100人余りが式の手伝いをしてくれます。冠婚葬祭にコミュニティが生きている姿がここにもあり、心強い思いをさせてくれました。

12/25 子供たちは学期の中間休み

 バリ島の子どもたちは、今日から学期の中間休みです。日本では2学期が終わって冬休みですが、バリでは1学期(7月-12月)が終わって2学期(1月-6月)までの中間休みで期間は1週間。 1月2日(月)には登校して普通の授業が始まります。  インドネシアの教育制度は日本と同じ6:3:3制ですが、学期の区切りが数年前から2学期制になっています。昨日は1学期の成績表を受け取る日で父母が学校へ行き、子どもと一緒に先生から話を聞きます。 ビラ・ビンタンを少し南へ下がった所にある高校でも午前中、親たちが詰め掛け一緒に成績表をのぞき込む姿が見られました。
 ボンさんの子どものあゆみちゃんやけんたくんら、バリの人と結婚した日本や欧米のお母さんたちの間に生まれた子どもが多く通う私立の国際学校では、一足早く1週間前から休みに入っていました。
 ところで昨日、休みに入る子どもたちにケーキをプレゼントしました。鈴木靖峯さんと私がスポンサーになり、ビラ・ビンタンに関係する人たちの子どもを対象に例年、行っている行事です。 集まったのはあゆみ(小4)、けんた(小2)、グストゥ(小2)、グスデ(1歳)(カデさんの長男、二男)アウグスティニ(小3)(ラシオ・おしんさんの長女)コミン(4歳)(ストウさんの三女)ウニ(3歳)(イロさんの長女)ラニ(小3)(スサナさんの長男)の8人。 残念ながらスウェチさんの長女コミン(5歳)は不在でした。
 ちょうどクリスマスイブ。子どもたちは、クリスマス・パーティーだとおおはしゃぎです。会場はカフェ・ビンタン。 親たちの見守る前でコーラが配られると、グスティが大人たちの真似をして「カンパイ!」と笑わせてくれます。スパゲティに鶏の唐揚げ、そして待望の大きなケーキをぱくついて、大満足の一夜だったようです。

12/31 田植えが始まる

 皆さん、Villa Bintang Ubudの光森史孝です。今日は大晦日。大掃除、お正月の飾りつけと皆さん、大忙しの一日ですか?年賀状書きに追われている人も?
 こちらでは田植えが始まりました。ウブドのビラ・ビンタン周辺では、私が来た10月中旬、ちょうど稲刈りが終わったばかりで殺風景な棚田風景。 ホタルも少なくて、初めて訪問したお客さんたちを少し落胆させました。その後、2か月余り、田んぼは〝寝かせた〟ままで、青草が茂っていました。
 2週間ほど前から一部の田んぼで、田起こしが始まりました。おじさんや、おばあさんたちが朝から晩まで、人力で土を掘り返していくのです。 1枚の田を起こすのに、だいたい2日。5,6枚の田を連日、すき返す重労働に、思わず頭が下がりました。
 ところが、そのままほったらかしの田が、かなりありました。ビラ・ビンタンから見ると、真ん前の田数枚は起こした後に水がたまりきれいな状態になっていましたが、その向こうは草が茂ったまま。 不思議に思っていると、2,3日前から耕運機が入りました。あっという間にすき返され、さっそく田植えという次第です。
 聞いてみると、小作の人たちは耕運機を雇うと費用がかかるので手作業で。余裕のある地主たちは、耕運機を雇って田を耕させるという訳でした。 終日、鳴り響いていた耕運機のエンジン音も、ようやく静かになり、今朝は前の田に数人の青年がやってきて手植えを始めていました。日本のように早乙女が並んで一斉にという風情ではなく、てんでに、ふぞろいの苗が並ぶ様子もまた面白いものです。
 さて、ウブドでは、こうして行く年、来る年を迎えます。私にとっては、あっという間の2005年でした。いろんなことが起こりましたが、2006年は、皆さんに、いい年でありますよう。

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