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2004年9月「ウブド村暮らし通信」

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09/05 テレビ東京の取材

今日は和歌山で震度5の地震があったとか。このところ、日本は台風、大雨、浅間山の噴火など、なんか物騒ですね。皆さん、お変わりありませんか?
 私の方は、ここしばらく通信をお休みしていました。実はテレビ東京の取材が連日続いていて今日、ようやく終了したので通信を書いています。
 取材された番組のタイトルは 「憧れ!夫婦で海外ロングステイ」で、ブルガリア、カナダ、コスタリカ、タイ、マレーシア、そしてインドネシアの各地でハッピーリタイアしている人たちを取り上げ、これから同じようなことを考えている人たちの参考にするということです。
 撮影は今月1日から始まり、クルー4人がビラ・ビンタンに泊り込み、移動の際には、こちらでコーディネーター役を務めたラマツアーのスタッフと ガイド、ドライバーの計9人が密着する物々しさ。街頭でカメラの前に立つと、周囲の人たちが何事と好奇の目を向け気恥ずかしい思いをしました。
 取材はブントゥユン村のジェゴグの特別演奏から始まり、通り掛かった日本人のグループが飛び入りで舞台の上で踊ってくれ、演奏のスウェチ さんやカデさんは大乗り。いつになく全員が汗びっしょりになりながらの大熱演。撮影クルーも、いきなりウブドの芸能の熱気に触れ、青い海と空 にサーフィンといったバリ島へのイメージが大きく変わったようでした。その興奮を持ってビラ・ビンタンの庭へ移動、いつもの車座のパーティー が始まりました。スタッフのスワティさん、ボンさんはじめブントゥユン村のメンバー、ウブド在住の日本人、宿泊中のオランダ、オーストラリア、フラ ンスなどの人たち、約40人がケチャや日本・インドネシアの歌などで夜が更けるまで大騒ぎしました。
 2日から5日まで、ビラ・ビンタンの様子、私たちの生活ぶり、スタッフの仕事ぶり、お寺のお祭り、ウブドの街並み、ロングステイのためのビラ、 1戸建ての売り物件などが収録されました。インタビューを受け、いろいろなことをしゃべったのですが、特にバリでは不動産が安く手に入り生活費も 日本に比べると格段に安いですよ-ということだけを強調しないで下さい、バリ島の本当の良さや、一方で住み着くと、さまざまな問題もあることを、 しっかりと伝えて下さいよ-と、撮影のクルーには、くれぐれもお願いしておきました。
 放送日時は10月4日(月)21:00~23:00で、関西地方のネットワークは今のところ不明ということです。分かり次第、知らせるということですの で、また通信でお知らせします。ぜひご覧下さい。そして批評を待ってます。

09/09 ウンブルウンブル

「ウンブルウンブル」の話題は、国際的な芸術・文化のネットワークづくりで平和や愛を確かめ合おうという催しのことです。 ウンブルウンブルというのは、バリ島のヒンズー寺院のお祭りの時、門や内庭に掲げられる幟のような旗のことです。ペンジョールのように先が細くなり龍の絵が描かれているのが多いです。 バリ島の首都デンパサールにある団体「アルティ・ファンデーション」とスイスの「レインボー・プロジェクト」が協力して先月末、デンパサールのププタン広場とサヌール海岸で世界各地のウンブルウンブルの作品を集めコンクールやディスカッションが行われました。 日本、ネパール、スイス、アメリカなどの子どもたちの作品もまじえ100本近く、色とりどりのウンブルウンブルが並んで、きれいな光景でした。 こんな催しをウブドでも開きたいな-と考えている人たちがいるんですが、何かいい知恵ないですかね、皆さん。参考までにhttp://www.artifoundation.org/japan.htmをのぞいて見てください。

09/13ウブドのカフェ・エグザイルス

 「エグザイルス」(ロバート・ハリス著、講談社、1997年6月第1刷発行)読みました?私は以前から気になっていたのですが、読む機会を逸して ました。最近、こちらの「大村しげ文庫」(注1)で見つけ、読んだところ、著者は、なんと「カフェ・エグザイルス」のオーナーの一人だったのです。 このカフェは前にウブド村暮らし通信にも登場したことがあるので記憶されている方もあろうと思います。ウブドのはずれプンゴセカン村にあり、 「ツカサ」さんという日本人のオーナー・マスターが居て、日本人会の音楽会が開かれヴァイオリンやピアノ演奏があったと書きました。私も何度か、 この店に行ったことがあり、毎週、ライブが行われているので、知る人ぞ知るウブドのインターナショナルな溜まり場の一つです。
 著者のハリスさんは、1948年、横浜生まれの日本人。「百万人の英語」で有名なB・ハリスさんを父に持つクオーター。旅、音楽、映画、文学など 幅広い分野で自ら体験した数々のエピソードをラジオのナビゲーターなどで表現し、若者たちを中心に多くの共感を呼んでいます。
 エグザイルは放浪者、異邦人などと訳されていますが、ハリスさんは、多くの旅を経ていま「自分の道を行くもの」と定義しています。ハリスさんは 高校時代から旅にとりつかれ、ロシア、北欧、ドイツ、中近東、インドなどを旅した後、心を病んで東南アジアを巡ってバリ島ウブドにたどりつきます。 バリ島の霊気にふれ1年間、メディテーションなどで過ごし、ここを第2の故郷と思うようになったようです。その後、オーストラリアのシドニーで立ち 直り、本屋を16年間経営し再び日本へ帰ってバリ島のことを思うようになり、シドニーで知り合ったツカサさんたちと1995年に現在のカフェを完成 させたということです。
 「今の僕にとって旅の一番の財産は、確立されたライフスタイルでも、身軽さでも、もちろん冨でも名声でもなく「仲間」だと思っている。僕の仲間 は日本だけでなく、世界中に散らばっている。・・・彼らのいる場所が光り輝いて見える。どこか軌道から外れている、しかしとても力強く生きている、 自分の道を歩む仲間たち」とハリスさんは書いています。
 機会があれば、ご一読を。注1=大村しげ文庫は、京都・バリ島在住だった大村しげさん没後、介護 していた鈴木靖峯さんが、私たちのコテージの一角に作った書棚。大村しげさんの著作やバリ島関係の本が所蔵されています。また宿泊した人 たちが置いていった本やバリ島日本人会ウブド支部の人たちが行っている古本交換会の本も多数、置いてあります。

09/21 プリ・ルキサン美術館

 今日は、時間があったので、一人、ウブドの街で、しっかり「観光客」をしてきました。
 朝、カミさんをなじみのヘアーサロンへ送り届けた後、モンキーフォレスト通りを通り抜け、王宮前の十字路を左折、少し西へ行ったプリ・ルキサン 美術館の前に車を止め、絵を見た後、カフェ・ロータスで昼飯を食べ、周辺のお土産物屋やCDショップなどを冷やかす-というコースです。
 プリ・ルキサン美術館は、たいていはお客さんを案内し、一通り回って、さっと通り過ぎることが多いのですが、今日は久しぶりにゆっくり鑑賞して きました。この美術館には表通りから川を越える長いアプローチがあり、きれいな蓮の花が開く大きな池や庭園に囲まれて展示棟が3棟建っており、表の騒音が嘘のように聞こえません。
 バリの絵画や彫刻が発展の段階を追って展示されている中で、見ものの一つは、やっぱりイ・グスティ・ニョマン・レンパッドの作品群でしょう。 1930年代、バリの芸術に大きな影響を与えたルドルフ・ボネやシュピースと時代を共有し芸術協会の設立などに活躍しますが、バリ人芸術家として 明確な技法を用い、伝説的な作品を生み出しています。また当時、ボネらが指導したバリの人たちの絵画をボネ自身が数多く同美術館に寄贈して います。他の展示棟では現代作家の作品も多く見ることが出来ます。ウブドの中心にありながら、なぜか入館者は少なく、ゆっくり見て回れるのもいい ですね。今日も日本人と西洋人の夫婦2組ぐらいでした。ウブドには他にネカ美術館、アルマ美術館の二つがあり、個人ギャラリーも数多くあります が、それらは改めて紹介します。
 美術館の並び、東へ数軒行くとカフェ・ロータスです。たいがいのガイドブックで取り上げられている所で、ここも蓮の花がきれいです。ちょうど昼 時、西洋人のカップルや家族連れが大半で、一人で飯を食ってるのも何だかなあ、という感じでしたが、涼しい風に吹かれて蓮池を眺めるのいいか と、卓に着き運転中なのでビールをぐっと我慢して冷たいジャワティー(砂糖なしと強調しないとあまーいのが出てくるので要注意)と定番ナシチャンプルを頼んだのですが、私には、ここのはもう一つでした。
 因みにプリ・ルキサン美術館のURLは
 http://www.museumpurilukisan.com です。

09/23 ウブドの美術館続き

 新妻東一さん、皆さん、先日、ウブドの美術館について書きましたが、今日は、その続きです。
 プリ・ルキサン美術館は歴史が最も古いのですが、規模が最も大きいのはネカ美術館です。ウブドの中心から西北へ、かつて芸術家たちの溜まり 場になっていたチャンプアン地域を越え少し坂を登ると、右手にある広い敷地の美術館がネカ。ステジャ・ネカさんが創設した美術館で、展示館が 6棟。カマサン、ウブド、バトゥアン・スタイルなど伝統的なバリ絵画が展示されている1号館を手始めに、オランダ人でバリの絵画に影響を与えた アーリー・スミットの作品を最も多く集めている2号館、アメリカ人の写真家ロバート・コークが1930-40年代に撮影したバリの儀式、祭礼、舞踊など の写真を展示する3号館、バリの伝説的な画家レンパッドのパビリオン、現代インドネシア人画家の作品を集めた5号館、1階に芸術表彰を受けた インドネシア人画家の作品、2階にはバリに魅せられた海外作家の作品を飾った6号館。丸1日かけても、とても見切れない作品群に圧倒されます。 中でもルドルフ・ボネの「アルジュナの結婚」(1953年)アブドゥル・アジズの「引かれ合う心」(1974,5年)デワ・ブトゥ・ブディルの「ジョゲット・ビン ギタン・ダンス」など有名ですよね。
 アルマ(アグン・ライ・ミュージアム・オブ・アート)美術館は最も新しいのですが、ビジュアル・アートとパフォーマンス・アートの拠点をうたい文句に最 近、名前が知られてきました。ウブドの中心より少し南にあり、バリ芸術に大きな影響を与えたドイツ人の画家ワルター・シュピースの作品が見られる のは、ここだけ。そのほか樹皮に描かれたカマサン様式の古典、内外の著名な画家の作品を展示しています。またオープンステージでは、ケチャや レゴンの特別公演が催されたり、ガムラン、バリ舞踊、絵画などのワークショップも開かれており、日曜日に訪れると、子どもたちの可愛い踊りの 練習風景を見ることも出来ます。私たちが出演するテレビ東京の番組でも、このワークショップの様子が撮影されました。
 ウブドには、このほか先日も東海さんのメッセージに出てきた写真家リオ・ヘルミさんのスタジオはじめ数多くの作家のギャラリー、絵画ショップが 並んでいます。お土産に絵を買って帰る人も多いようです。皆さんもいかがですか?

09/27 一時帰国します

 皆さん、少し早いですが、今日、チケットが押えられたので一時帰国します。
 実は数日前から腰痛に悩まされていまして(年齢ですねえ)生まれて初めて指圧マッサージなどをしました。「ジャム-おじさん」と呼ばれる屈強な人に、こそばゆいのを我慢しながら2時間余り全身を揉みほぐしてもらったのですが、あまり効果はなく、彼は「腎臓あたりかな、石かな」というご託宣。そこでウブド・クリニックの医師に往診してもらったところ「血圧異常なし、尿も異常なし」で、「筋肉かな」ということになり痛み止め、筋肉をほぐすなどの飲み薬3種類と塗り薬をもらって治療中です。痛みどめが効いてか、少し痛みが和らいで長時間の飛行機に耐えられるうちにとカミサンと一緒の一時帰国を決めました。ほんとはもう少し居たかったのですが・・・・・
 このウブド村暮らし通信は、こちらで仕込んだネタを明石から発信することになりそうです。ホットニュースは駐在の通信員を確保していますので、随時、お送りします。
 次にバリへ来るのは来年の正月明けぐらいを考えています。何人かの方が雨季のバリ島へと計画されているようですので、そのときにお出会いしましょう。
 話は変わりますが、インドネシアのビンタンビールはさっぱりしていて飲み口のいいビールです。多くの人がはまっています。ビンタンはインドネシア語で星なんですね。このコテージも最初、リマ・ビンタンという名前でした。 5人が共同で作ったのでリマ=5、五つ星と。ところが、その筋から、五つ星のホテルと間違える、既に大きなホテルが存在する、とお達しがあり、改名せざるを得なかったという次第です。ちなみに隣のビンタン・プソナ、その隣のビンタン・パリと合わせて、三つのコテージ群をビンタン・ビレッジと称しています。

09/29 一時帰国しました

 29日午前0時25分、ングラ・ライ空港発、同日午前8時25分、台風接近の雨雲の中を大揺れしながら無事、関空に着陸し自宅へ帰りました。皆さんにお気遣いいただいた腰痛は、機内では幸い起こらず心地よく睡眠が取れました。しかし帰着しパソコンを開いた途端、また痛み出しました。ゆっくり検査します。
 私たちがウブドを出た28日はバリ島特有の暦(210日が1年)で4月の満月の特別の儀式の日。大きなお月さんが輝く下で各家ではお祈りを捧げる姿が多く見られました。またお寺のオダラン=お祭りも多く、聖水の湧くタンパクシリン、11世紀の遺跡のあるゴアガジャはじめウブド周辺の村々では正装の村の人たちが行き交い、私たちが空港へ向かう道すがら、お寺からガムランの音が「早よ、帰ってお出で」とばかり響いていました。
 先日来、お知らせしていましたテレビ東京の放映と関西地区のネットワークの件ですが、10月4日(月)午後9時-11時に予定通り行われるようです。関西はテレビ大阪ですが、これを受けている瀬戸内テレビなどは、どうなのか、これから調べてみようと思っています。その他の地区は不明ですが、お近くのテレビ局に問い合わせてみて下さい。番組名は「憧れ!夫婦で海外ロングステイ」で、インドネシアのほかブルガリア、カナダ、コスタリカ、タイ、マレーシアでも取材されているようです。

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