06/20 バビ・グリンはイブ・オカ
皆さん、しばらくです。身はにっぽんの寒さの中にいますが、心は、熱いウブドで通信を続けます。今、講談社の「オブラ」の編集者たちがビラ・ビンタンへ来ています。「バリに住む日本人たち」の特集を組むのだそうです。私はあんまり読んだこと がないのですが、「オブラ」は「サライ」の男性版で、中・高年の趣味生活などに詳しい雑誌だそうです。
ライターは、かつて神戸新聞の社会部記者をしていた若い人で何度かバリへ足を運ぶうち知り合いが増えて、今回の企画となったようです。 掲載月が分かれば、また連絡します。
前回の続きでウブドで私たちがよく行く食べ物屋さんの話です。まずウブドの十字路周辺から。ここはウブドの最もにぎやかな街路でモンキー フォレスト通りとラヤ・ウブド通りが交差しており、北東角に王宮、北西角に村の集会所、南東角に市場があります。その集会所の北隣りにあるのが 有名なバビ・グリンの店「イブオカ」です。小さなワルンですが、11時過ぎから地元の人たちや観光客で行列ができるほど。バビ・グリンは豚の丸 焼きの固いパリパリの皮と肉、それにご飯と少量の野菜に辛いソースを混ぜ合わせながら手で食べます。通の話では早めに行かないと皮が柔ら かくなるとか。バリ島で一番おいしいバビ・グリンという評判で、デンパサールあたりからもOLたちが昼休みに食べに来ています。テイクアウトもありです。
その北隣りにインド料理の「テラソ」があり、ここは遅くまで開けているので重宝します。日本のガイドブックには必ず載っていた老舗の「百家」は閉 めてしまいました。残念なことです。十字路を西へ行くと「カフェ・ロータス」。広い蓮の池と水の王宮を眺めながら昼下がりのアフタヌーン・ティーには 最適だと思います。その並びの「プリ・ルキサン美術館」の前にレストラン「カサ・ルナ」があります。ケーキがおいしいといってスタッフの子どもたちや 女性たちが喜びます。
モンキーフォレスト通りでは何といっても「カフェ・ワヤン」。インドネシア料理一般ですが、外国人が多く利用しています。同じ並びに、日本人女性 が嫁いで手伝っている「ディアン」という手ごろなカフェもあります。以前、この近くには「ワルン酔し」という日本人男性が経営する、ちょっと知られた 日本料理店がありました。オーナー・マスターが男前の愉快な人で、よく通ったものです。事情があって移転しバリ島で初の回転寿司屋を開店した のですが、身体を壊して閉店し日本へ帰っておられるのは寂しい限りです。
06/21 ウブドは寒い!
皆さん、お久しぶりです。お待たせしました。通信を再開します。日本は台風だとか、皆さんのお家は大丈夫ですか?明石に再上陸という情報を 聞いたのですが、わが家はどうなんでしょうかね。さて、ウブドですが、このところ夜半から未明にかけて結構、冷え込んで います。パジャマを重ね着して毛布をかぶって、ちょうど良い加減です。
バリ島は南緯8度、南半球に位置しています。これから南半球は冬へ向かう訳ですが、バリ島へはオーストラリアから冷たい風が吹き込んで くるのです。バリ島の気候は一応、常夏ではありますが、大ざっぱに、乾季(4-10月)と雨季(11-3月)に分かれています。前回の通信は 雨から始まり、今回は寒さからの始まりで、なんだか南の島らしくない便りですが、ぎらつく太陽、青い海、ばかりではないバリの事情もお知らせしようと、あえて書いています。
こちらへ来て2週間ばかり経ちますが、雨はまだ一度もなし。日中は、さすがに暑く、少し動くと汗が流れます。しかし一歩、日陰に入ると涼し い風が吹いて快適に過ごせます。夕方から気温が下がり始め夜中から未明にかけて、さらに冷え込むという訳です。これから7、8月とさらに 寒さが進行します。バリの人たちは、皮ジャンパーを着込んだりとっくりセーターを着てオートバイに乗っています。長く住んでいる日本人で長袖 2枚に靴下を履き毛布をかぶって寝るという人もいます。「軽井沢か上高地のようだね」と、先日訪れた友人が話していました。これから訪れる方は長袖を1枚、お忘れなく。
06/22 バリ島アートフェスが開幕
皆さん、台風一過ですか?バリ島ではアートフェスティバルが開幕しました。毎年、6月中旬から7月中旬まで、バリ島の州都デンパサールで開かれる催しです。バリ島内各地の村々から、この日に備えて練習を積んだ芸能のグループが毎日、毎夜、デンパサールにあるアートセンター内の野外劇場で熱演を繰り広げます。ガムラン演奏あり、伝統舞踊あり、仮面劇あり、影絵芝居あり、本当に何でもありの芸能大イベントです。子どもたちも村のグループごとに競演します。そうなると、もう村対抗の芸能合戦の雰囲気。大勢の大人たちが観客席のそこここに陣取り、大声で声援し拍手の波と一気に盛り上がります。外国勢も今年でいえば韓国の太鼓、ジャカルタ日本人会のバリダンスグループなどが出演します。
一昨年は神戸の和太鼓のグループが出演し大うけでした。このグループはこの公演の後、私たちの居るブントゥユン村へやってきてジェゴグのグループと共演し、村の人たちと交歓しました。すべてぶっつけ本番でしたが、見事なセッションを繰り広げてくれて一役かった私も大満足でした。後日談ですが、この和太鼓に触発されて、わがブントゥユン村のジェゴググループが巨大な竹を縦に並べて打ち鳴らすというジェゴグを開発し、現在、ウブドでうけています。
アートフェスティバルは19日がオープニングパレードだったのですが、例年やってくる大統領の都合で一日順延したのに、次の日も大統領が来なかったとか言って、地元の人たちが愚痴っていました。今、こちらは大統領選挙の真っ最中。現職メガワティさんの苦戦が伝えられる中、その影響もあったんでしょうか。
私たちは先日、センターの野外劇場で出会った大阪の青年たちのグループがバリのグループと共演するパフォーマンスを24日午後8時から、見に行こうと思っています。
06/25 ソーラン節文化
高知のよさこい祭りが今や全国に伝播していますが、そのよさこい祭りの定番ともいえる「ソーラン節」踊りがインドネシアにも伝わり「スラバヤ・ソーラン祭り」などが地元の人たちの手で開かれているそうです。今日は、そのソーラン節を含む日本の文化がバリ島アートフェスティバル2004で披露された話題です。フェスティバルのメイン会場、2,000人収容の野外劇場の24日の目玉は日本の芸能プロダクション「ソーエイ」(大阪)と地元の芸達者な人たちとのコラボレーションでした。演題は「サムライ」。ソーエイ側は6歳から27歳の子どもと若者たち50人余り、バリ側はスカワティ村のガムラングループと当代随一の人気コミカルタレント、チャドルさんと相方、それに数人の踊り手。筋書きは悪いサムライが大暴れして村人を皆殺しにするが、天国から善いサムライたちがやってきて退治するという簡単なもの。だが、中にチャンバラあり、日本、バリ双方の踊りありとバラエティに富んだ出し物。
舞台回しはチャドルさんたちで日本語を交えながらの軽妙な動きに日本人の団体も含め満席の場内はしばしば大爆笑。実はこのチャドルさん、本業は日本語の通訳でビラ・ビンタンにも時々やってくるとか。「普通の人ですよ。あんまりおかしくもない」とはうちのスタッフのボンさんの弁。それが舞台に上がると、弾けるような笑いをとる、わからんもんです。
劇中劇で大衆演劇のスターも登場し早変わりや舞で会場を沸かせてフィナーレへ。ソーラン総踊り、お祭りマンボ踊りなど会場はやんやの喝采で日本・インドネシアの文化交流の夜は更けました。
数日前、会場へ下見に訪れていたソーエイのメンバーと出会った時、「こちらの観衆は厳しいかならあ」と緊張気味でした。確かに面白くないと遠慮なく途中から、ぞろぞろと帰ってしまいます。ところがこの夜は最後まで満席のまま。一緒に行ったボンさん、ルビーさんも大満足でした。こんなコラボレーションが、もっと広がるように何かできることがあれば・・・と改めて思いました。
06/26 ウブドで「蛍の光」
スタッフのボンさんの長女あゆみちゃん、長男けんた君、カデさんの長男グストゥ君の通う私立学校「ヤヤサン・スカ・ダルマ」(幼稚園・小学校併設 で、外国人の子どもたちも多く通っています)の卒業式と終業式が25日、ウブドで行われました。式の会場となったのは学校に隣接した村の集会 所。約300人の父母や子どもたちが集まって、イス席は満杯。周辺にはアイスクリームやピザ、サンドイッチなどの売店ができて、すっかりお祭り 気分。けんた、グストゥ両君は晴れて幼稚園の卒園。約20人の園児たちは結婚式の衣装を着けたファッションショーやバリダンス、バリのお芝居など 学芸会ふうの舞台で大活躍。けんた君たちはハワイのフラダンス風の踊りを披露してくれました。中でもグストゥ君の踊りはピカ一でした。
また小学生たちもバリのダンスでおとな顔負けの達者な芸を見せてくれました。子どもたちがこんなに小さいときから芸を身につけているのだから、 村の伝統芸能が受け継がれるはずだと納得しました。あゆみちゃんは踊りに出演できなくて、ご機嫌斜めでしたが、いい成績で3年生に進級です。 ボンさんとお母さんのなお子さんは成績表が気になる様子。他の父母も先生から成績表を受け取ると、あちこちで親子の輪ができ、何やら話し込 む様子は、いずこも同じ風景です。バリ語の成績がもう一つだったあゆみちゃん「日本語の科目があったらばっちりなのにな」と、言ってました。
さて、6年生たち10数人が舞台に並んで学科別に表彰を受け、学園長さんから卒業証書をもらい、先生一人一人が生徒たちを抱きしめながら 涙でお別れはジンときました。そこへ流れてきたのが「蛍の光」-。なんとこの国でも卒業は、この曲だったのです。一層、壇上の風景が感動的に映りました。
06/27 シンガポールへ
明日、28日(月)から3日間、ビザを取得するためシンガポールへ行ってきます。インドネシアのビザ制度が今年2月から変わりました。従来、観光ビザは入国の際、有効期限6ヵ月以上あるパスポート、帰りの航空チケットが あれば、パスポートにポンと判を押してもらって終わり。60日間、これで滞在できました。期限が切れれば、ちょっとシンガポールかバンコク、 オーストラリアなどへ出かけて、とんぼ返りすれば、また60日間過ごすことが出来たのです。
ところが改変で期間は30日、入国の際に$25が必要となりました。30日ごとに出国というのは何とも厄介なことです。で、やむなく各種の ビザを取る人が増えてきました。一番多いのが「ソーシャル・ブダヤ・ビザ」-直訳すれば社会文化ビザ。インドネシアの文化を学ぶとか友人・知人を 訪問するとかの理由で長期滞在の申請をします。
これを取得すると、60日間滞在後、後は申請書類を提出するだけで済みます。最大延長は6ヵ月ですから都度、出国をしてビザを取り直さなければ なりませんが。
ほとんどの人は、こうした手続きの一切をエージェントに任せています。私たちもバリでの手続きは日本人女性がやっている「ハウス・オブ・バリ」 という旅行代理店件不動産業兼エージェントに任せました。インドネシア人の身分証明書のコピー、その人のサインした申請書類と私たちのパス ポートコピー、顔写真が必要です。
この写真が面白くて、なぜか赤をバックにした顔写真を要求されます。町の写真屋さんへ行くと、お兄さんが後ろで赤い布を掲げて撮影してくれ ました。ベトナムなどで要人の写真が赤バックになっているのを見た気がしますが、自分の顔となると変な感じです。
で、シンガポールでは、またエージェントのイスマイルさんという人に一切を依頼してビザを作ってきてもらいます。このところ同じような人が多いと 見えて、この人、日本語のHPを持っていて検索すると「ビザ代行」と出て来ます。
と、まあこんな事情で3日間、ウブドを留守にします。シンガポール便りは帰ってから報告します。