07/01 ビザを取得してきました
シンガポールから帰ってきました。ソシアル・ブダヤ・ビザは無事、取得してきました。といっても書類をエージェントに預け、待っていただけでした が・・・・これで最長6ヶ月間は国外へ出なくて済みます。「ガーデン・シティ」といわれる同国は相変わらず美しい都市だったんですが、林立する高層ビルと、やたら多い人込みに少々疲れました。 だんだんバリ人になってきているんですね。シンガポールで拾った話題をいくつか。
当地で発行されている「中国新聞」に喜納昌吉のことが顔写真入りポスターとともに大きく報道されていました。いわく「日本反対党民主党派沖縄和平歌手喜納昌吉以歌声挑戦小泉」と。
待機の合い間に4時間ほどの「シティ・ツアー」に参加しました。リトル・インディア→マー・ライオン→チャイナタウン→植物園のミニコース。ホテルなどからピックアップされた観光客がバスターミナルでツアーコースに振り 分けられ、シティーツアーには大型観光バス5,6台が順に出発していきました。私たちのバスも含めていずれも満員、それも欧米、豪、中国系、 インド系が主な顔ぶれ。日本人はちらほら。私たちのバスには一人も居ませんでした。途中で話し相手になったオーストラリアのシドニーから来た おじさん、「日本のムービーはベリーグッド」というので「何が?」と問うと、「サムライ」だと。あれはトム・クルーズのアメリカ映画やないかいなと思っ たけど、渡辺謙が健闘していることだし、まっ、いいかと・・・教えたばっかりの「サヨナラ」を連発しながらスイスへ発っていきました。
それにしてもオーチャード通周辺を歩き回ったのですが、日本人の姿が、これまでと比べて、めっきり少なくなったような気がしました。他の東南 アジアへ観光客が流れているのだろうか、などと推測しているのですが、旅行業の皆さん、どうですか?
ところで全く別の話題ですが、曽我ひとみさんの情報、教えて下さい。
こちらでは、再会・永住の場所がウブドだなどという噂も飛んでいるんですが。
07/05 ジェゴグのコラボ
きょう5日はインドネシア最初の大統領直接選挙の日なんですが、意外 と静かですね。街角に大統領、副大統領候補の顔写真とナンバーを入れた巨大なポスターが掲示されているくらいで、バリ島では、どこで選挙が 行われているのかな、といった気配です。ジャカルタあたりだと少し様子が違うのかもしれませんが・・・・。今夜には、大勢が判明するという話です が、最終集計までには1週間くらい掛かるそうです。何といっても1万を越す島々からの集計ですからね。毎週日曜日は、我がブントゥユン村のジェゴグ・グループ「スアール・サクティ」の定期公演の日ですが、昨夜はスペシャル・プログラムで大いに盛り 上がりました。ジェゴグは巨大な竹の楽器で重低音が魅力ですが、ここのグループは、さらに工夫を凝らし直径20-30センチ、長さ5-8mの竹を 縦に吊るして大きなバチでたたくという、バリ島で唯一の楽器を創作しました。その重低音で、このところ注目を集めているのですが、その演奏に オーストラリアの先住民の楽器「ディジュリドゥ」をぶつけてみたのです。ディジュリドゥはアルプスの角笛のような長い楽器で吹くと「ブッ、ブッ、 ブォー」といった重低音から「プッ、ピッ、ピー」といった高温まで出ます。
これを演奏する田村智・夏規という兄弟と知り合い、鈴木靖峯さんにたきつけてセッションを実現させたのです。ほぼぶっつけ本番だったのですが、 ジェゴグ、ディジュリドゥの高・中・重低音が見事に重なり合ってすばらしい演奏となりました。観光客だけでなく、村の人たちも集まり、会場の村の 集会所は立ち見もでる盛況で、演奏者たちも大満足でした。
この縦に吊るした竹の楽器演奏、実は3年前、私が神戸の和太鼓グループ「輪田鼓」をブントゥユン村に招いてコラボレーションした際、日本の太鼓 演奏に触発されて、こちらのグループが作り出したものです。さて、ディジュリドゥからどんなアイデアが生まれてくるか、楽しみです。
07/08 もう一つのジェゴグ
昨夜、ウブドの大きなお寺で行われたジェゴグ・グループ「ヨワナ・スワラ」 の公演をのぞいてきました。ここは我がブントゥユン村グループの兄貴株。元は鈴木靖峯さんがスポンサーで2年ほど先にスタートし、その後、楽器 を新調して今は毎週水曜日午後7時から公演しています。ジェゴグはもともとバリ島西部のヌガラ村(ウブドから車で2時間半ぐらいの距離)で、水牛レースなどとともに奉納芸能として行われていました。 村にはいくつかのグループがあったのですが、この巨大な竹の楽器を世界的に有名にしたのが「スアール・アグン」を率いるスウェントラさん。世界中 で演奏会を開いており、日本でも毎年、どこかで公演しています。神戸でも数年前、HATで復興記念行事の一つとして行われました。
ヌガラ出身の人と鈴木さん、ウブドの青年たちという縁故からウブドでもジェゴグを-という機運が盛り上がり兄貴株のグループが結成され、あとを 追ってブントゥユン村のグループがやり始めたという経緯があります。さすが一日の長あり、で演奏、踊りともに、見ごたえがありました。特にここ の奏者は夜毎、宮殿などの公演でガムランを演奏しているプロの人たち。また踊りも一つの村の人だけでなくウブド各村から選りすぐってきただけ あって、完成度の高い公演を見せてくれました。そういう訳でか入場料は他の全ての公演より1万ルピア高い6万ルピアを取っていました。ブントゥ ユン村のグループは今週から金曜日にも公演することになりました。
ちなみに7月の現時点でウブドで行われている芸能公演を曜日ごとに 紹介しますと、
日曜日= レゴンダンス、ケチャダンス、ワヤンクリット(影絵芝居)ジェゴグ、もう一つのレゴン
月曜日= レゴン、ケチャ二つ、バロンダンス
火曜日= ラーマーヤナ物語、バリ芸能の抜粋、ケチャ、影絵、レゴン、女性のガムランと子どものダンス
水曜日= レゴン、影絵、ケチャ、ジェゴグ、ドラマ
木曜日= ガボールダンス、ケチャ二つ、レゴン、バロン
金曜日= バロン、レゴン、ケチャ
土曜日= レゴン三つ、ケチャ、影絵、子どものダンス
以上、それぞれに違うグループが、それぞれの場所で公演しているので、 選り取りみどりです。
07/10 お葬式のお誘い?
ウブドに寒気が戻ってきました。今朝、ドアを開けてテラスに出ると、思わずブルッと身震いしました。午後8時現在も少し風が冷たいです。さて、今日はバリ・ヒンズーのお葬式のお話です。今、ウブドの中心、十字路の北東角にある王宮の周辺は、騒然としています。 今月24日に盛大なお葬式が行われる準備が本格化し、バデ数百人の村の人たちが入り替わり立ち代わり立ち働き、見物客も多く集まっています。
亡くなられたのは当代の王様の伯母さん。5月末に亡くなられ、少しずつ準備が始まっていたのですが、昨日あたりからウブド中心部のサンバハ など4村のお葬式が一緒に行われることが決まり、数十体が一緒に焼かれる準備も重なって大掛かりな作業となっています。バリでは富裕層のお葬 式の際、仮埋葬している人たちの葬儀を合同で執り行う習慣があります。経費節減などの理由です。
魂は天に上って浄化され神様になるので出来るだけ華やかに、にぎやかに行うのがバリのお葬式。という訳で、まず目につくのは20mはある大 やぐら=バデ。竹と木と籐で組み上げていきます。そのてっぺん付近に棺を納めるため王宮から虹の掛け橋のような階段が取り付けられました。 (このバデと博多の飾り山笠との相似性について写真家の管洋志氏が20年前に指摘しており、私も東南アジアの文化の類似性に興味を持っている のですが、このことは別の機会に)もう一つは広場で火葬の際、棺を納めるランブー(木製の牛の像)。これも高さ3m余りのもので、さすが王家の葬儀 という偉容です。その横に各村の棺を納める建物が5棟ばかり建ちました。
バリ島では葬儀も観光イベントの一つ。ホテルやショップで「明日、大きなお葬式があるよ、見に行きませんか」と、よく誘われます。当日、何千人が 集まるのか予想もつきませんが、とにかくここしばらく、にぎやかなことだろうと思います。皆さんも見物に出かけてみませんか?
07/13 ボン村訪問
昨日、マネージャーのボンさんの故郷ボン村へ行ってきました。今、ビラ・ビンタンに宿泊されている京都の「ななし座」という人形劇グループの女性5人が「バリ島の子どもたちと遊びたい」との希望で、ボンさんが村の小学校訪問をアレンジしたのです。ボン村(正確にはバドウン県ぺタン市ベロック村ボン集落)はウブドから車で1時間半くらい北上した標高1100mくらいの高原地帯にあります。観光名所キンタマーニの西方です。みかん、コーヒー、とうがらし、とうもろこしなどを栽培する純農村。その第4小学校がボンさんの母校。今は新学期までの休み中なのですが、1年生から6年生まで約70人の在校生のうち半数が待ってくれていました。
ななし座の人たちは京都・光華高校人形劇クラブの同窓生で結成し時々、公演活動をしているとか。20年ほど前、大村しげさん、鈴木靖峯さんの縁で先輩たちがバリ島を訪問するようになり、後輩たちが受け継いで時折、子どもたちと交歓しているそう。今回の5人は保育所の先生や会社員など。それに私たち夫婦とビラ・ビンタンに宿泊されている東京の音楽教師の方一家4人も臨時に参加し大一座の訪問となりました。
子どもたちが打ち水をしてくれた校庭で、ななし座の女性たちは先ず法被姿で「八木節」の踊りを披露、続いてお得意の人形劇「動物バラエティ」、そして細長い風船でさまざまな動物を作るころになると、子どもたちもすっかり打ち解けて一緒に風船や紙トンボづくり、折り紙に興じ、あちこちで笑顔が弾けていました。本当に楽しい午後の数時間でした。
07/18 お葬式で停電?
ウブドで今世紀最大で最後といわれる王家のお葬式が近づいてきました。なぜ最大で最後かというと、亡くなられた方が、王制が存続していたころの最後の王女だったからです。王制がなくなり、王様は普通の人になったわけですが、旧王家は今でも多大な財産を持ち、尊敬を集めています。(ジャワ島ジョクジャカルタの王家のように今でもクリス=短剣を 背中に刺した家臣団数百人に囲まれている王様もいますが・・・)葬儀の準備の方は、やぐら=バデの最上部の多重塔のような飾りが出来上がり、棺と一緒に焼く牛の像=ランブーには黒の布が巻かれ金・銀の刺繍の布で飾られました。王家と一緒に 葬儀をするウブド4村の棺を安置する高床式の小屋も完成。2mほどの 高さの床に野戦病院のベッドのように棺の台が並んでいます。「I WAYAN ○○」「NI WAYAN ××」といった名札を数えてみると、 60人余りの棺がありました。仮埋葬の墓地から葬儀の当日、ここへ移されるのです。
実はこの準備、王宮の前の道路、我がブントゥユン村へ通じるスウェタ通を一部閉鎖して連日行われています。このため、あちこちに余波が 及んでいます。バビグリンで有名な「イブ・オカ」は店舗が準備作業の会場になったため少し奥まった自宅での営業を余儀なくされています。 通りに面した「TERAZO」などのレストランやギャラリーは開店休業状態。迂回路が車1台がやっとという1本道だけで、連日の渋滞。狭いすれ違い を敬遠して、私は運転をしばらく見合わせています。
毎夜、宮殿内庭で行われていたレゴンダンスなどの公演は道路向かいの集会所へ移転です。
そして、なにより大変なのが葬儀当日、ウブド一帯が停電に見舞われそうなこと。高さ20mにも達するバデが担がれて火葬の行われる広場ま で練る際、道中の電線は切るしか通行の方法はありません。この間、ウブド一帯は大停電というわけで、何より冷蔵庫をどうしようかというのが 住人の悩み。ペットボトルに水を入れて凍らせて急場をしのごう-なんて話し合ってます。
こんな余波があちこちにあり、バリの人たちはぶつぶつ言いながらも宗教行事だから仕方ない-と淡々と準備作業に参加しています。
07/20 お葬式の話続き
もう少しお葬式の話を続けます。火葬の儀式は24日なのですが、既にそのための各種の儀式は始まっており、朝からプダンダ(寺僧)が経文を読む声が、風に乗って聞こえてきます。今日は大統領候補のユドヨノ氏が王宮にやってくるというのでウブド中心部は大交通渋滞。中心部にあるサッカー場が観光バスなどの臨時駐車場になっていました。夕方からプリアタン村で作ったドラゴン像のランブーを王宮へ運び込む行列が組まれ大にぎわいでした。
さて本題で、先ず「バリヒンズー」ですが、元はインドから伝えられたヒンズー教ですが、バリ土着のアニミズムなどと融合して世界で一つしかない独特の宗教となっています。(このことは多くの学者も指摘しています)日本の「八百万の神」信仰と非常に通ずるところ があるように素人目には見えます。「木の神様の日」「鉄の神様の日」など1年に90日ほどお祭りをする日があるそうです。その度にバリの家庭では バナナの葉などで作ったお供えを屋敷中の祠や木の根元などに供えます。普通の家で50個所、多い家だと100個所を超えるお供えですから、主婦は大変です。
インドネシア国は9割方イスラムですが、バリ島だけヒンズーが9割を超します。なぜバリ島にヒンズーが残ったのかはまたの機会に書きます。 カーストはありますが、インドほど厳しくありません。王家と一緒に葬儀を行うのはウブド中心部4つの村の人60人余りです。既に亡くなった人が 火葬儀式を行わず仮埋葬されていたのを、この際に合同で火葬儀式を行うわけです。これには火葬儀式に莫大な費用がかかるという経済的な 理由が大きいようです。僧侶、貴族階級の人の場合は即、火葬儀式となるケースが多いようです。
「輪廻転生」に関してはバリの人のコスモロジーがあり、一言では難しいですが、階級に関わりなく来世を信じて、めでたく旅立たれるようです。従って儀式は出来るだけ豪華に、華やかに、行われます。
マレーシアのジョホール州のスルタン邸は私ものぞきに行きましたが広大なものでしたね。衛兵の交代を見ようと待っていたのですが、衛兵の乗る馬が身じろぎもせず立っていたのが妙に印象に残っています。
07/24 ほんとうにすごいお葬式
いやー、さすが、すごいお葬式でした。私は、これまでバリのお葬式について、話を聞いたり本で読んだり、写真を見たり、小さなお葬式の行列に出会ったりしたことはあったのですが、こんな盛大なお葬式の一部始終を見たのは全く初めての経験です。今日、午前中は一緒に火葬するウブド北、南、中、サンバハ4村の約60遺体のランブー(牛などの像)とバデ=やぐらなどがウブド南西部の墓地へ運ばれました。王家のものと 比べると、やや小ぶりながら、しっかりした作り物を村人たちが「ヤー、ヤッヤッ」と掛け声をかけながら、それぞれの村から担ぎ込んできました。
正午前、ウブド十字路角の王宮前で、いよいよ王家の葬儀開始です。ガムランを合図に高さ20mはあるバデの3分の2くらいの所に棺を納め る儀式。中空に架けた竹製の円形の橋の上を数人の男たちが引き上げバデに固定します。滑り落ちないよう付き添う僧の身体も一緒に縛り付 け作業完了の合図を眼下の群集に送ると一斉に拍手と喚声。このあたりが、にぎやかなバリらしい葬儀の風景。
このころになると、ウブドを東西に貫くウブド・ラヤ通のチャンプアンから東の突きあたりの三差路付近まで人波でぎっしり。クタから、ヌサドアから、 各地から、この日、バリ島に滞在している観光客は全てウブドに集まったのではないかというくらい。それに王家が招待した各国領事、スカルノ 元大統領の親族、バリ島州知事、各県知事、友人たち、そして葬儀の関係者と周辺の村々の人たちで埋め尽くされました。報道関係者も多く、 朝日のジャカルタ支局から取材に来ると言ってましたから、ひょっとすると明日の朝刊に載るかも。
その群集をかき分けて巨大な牛のランブーを先頭に、ウブド南東部の王家の墓地まで約1.5キロの行列が始まり最後のバデは百人余りの 男たちに担がれて進みます。道中、200mごとに村が交代して担ぎ墓地へ。私はこの後をついて行こうとしたのですが、ラッシュアワーの 電車の中をみんなで駆けているような状態に恐れをなして早々と離脱し大回りをして墓地へ駆けつけました。
午後2時半ころから約1時間、広場の真ん中に据えたランブー=牛の像の体中へ棺を納め近親者らしい女性の最後のお別れなどの儀式が行われ、椰子がらや薪を積み上げて、数千人が見守る中、点火。あっと いう間に燃え上がりランブー、屋根付きの屋形などが燃え落ちると、遺体の形が見え、やがて灰の中へ。群衆の一番前で、王制最後の王女 Tjokorda・Istri・Muterさん(94)の来世を祈りつつ、しっかり最後まで見届けてきました。
広場では、この後、巨大なバデなど全てを灰にし、遺骨は海に流すなどの儀式も行われます。
そして、やっぱり停電しました。午前9時ごろから午後3時ごまで。
07/25 大凧揚げの大会
今日は日曜日、子どもたちを連れてサヌール海岸へ大凧揚げを見に行ってきました。6,7月はバリ島の凧揚げシーズン。強い風が吹く海沿いの地域、特にサヌール海岸などでは凧が大空に舞う風景を、よく見受けます。もともとは 子どもたちの遊びだったのが、今では、お兄さんたち、おじさんたちの遊びになっています。なにしろ一つの凧の大きさが大型トラックの荷台に載せて 運ぶ際、両翼が荷台からはみ出し、しっぽも長く引きずりそうなくらいという代物なので、とても子どもたちの手には負えません。おじさんたちが村でグ ループを作って凧を製作、さて凧揚げ本番になると、赤やブルーなどのそろいのユニホームを作り、ガムラン付きで、数十人がわっせわっせと引っ張り 揚げます。このあたり遊び好きのバリの人の面目躍如と言ったところです。
この大凧集合の大会がサヌール海岸でシーズン中、何回か催されるということです。今日はその最終日というので出掛けたのですが、海岸沿い の広場はぎっしりの人出。それぞれのチームがテントを張り、それを物売りの屋台が取り囲み、さらに群衆が取り巻く中、おじさんたちが大汗をかきな がら大凧を引っ張っています。空に舞う凧の数は、優に50を超える壮観。
今日の本当の目的はビラ・ビンタンのチーフ、ボンさんの長男ケンタくんとスタッフのカデさんの長男グストゥくんが先週からピカピカの小学校1年生 となったお祝い、それにボンさんの長女あゆみちゃんが小学校3年生に進級したお祝いでデンパサールへ食事に行ったんですが、その帰り道、 サヌール海岸へ寄り道した次第です。
子どもたちは、やっぱり山の子。初めは凧に歓声を上げていましたが、そのうち波とたわむれるのに、すっかり夢中。大暴れをして、昨日のお葬式 に続いてCAPEK(チャペッ=疲れた)の1日でした。
07/27 またまたジェゴグ。私はロンボクヘ
昨夜、本場ヌガラのジェゴグ・グループと門外不出といわれるバリ・アガ(バリ島にもともと住んでいた人たち)の鉄のガムランの演奏会が行われたんです。鉄のガムランは「スロンディン」と呼ばれるもので、バリ・アガの村の一つ、バリ島東部にあるテンガナンで、祭礼の際、女性たちの踊りの音楽として 演奏されるものです。楽器、音そのものが神性化されていて門外不出、外部のものが楽器に触れることさえ禁じられているものですが、村の青年 スダルサナさんが若い演奏者を育てようと個人で楽器を作りグループを編成して、外部での演奏が実現したのです。演奏は少人数(昨夜は6人) で鉄板や鉄の筒状の物を木槌で打つのですが、その音は「暖かくて、しっとりと湿気があって、宇宙を浮遊する感覚。そして、それは母親のお腹の 内にいる感覚」というふうに表現されています。まさに、うっとりの、数曲の演奏でした。
ジェゴグは「タルナ・ブディ・ラクサナ」というグループ。ヌガラには現在、日本で公演中という「スアール・アグン」はじめ60近いグループが活動して いますが、このグループはリーダーの天才的なリズム感と音楽センスで力強さと繊細さを併せ持つ数少ない演奏集団のようです。我がブントゥユン村 のジェゴグ・グループの師匠格でもあります。さすが本場という演奏を聞かせてくれました。
この演奏会が行われたのがゴア・ガジャの近くのテガスというバリ・アガの村の一つ。お寺の広場に、うっそうと茂る巨木の下、灯油ランプに照らされ ながらの演奏は、なかなかに雰囲気のあるものでした。 ところで、私は明日から4日ほど、隣のロンボク島へ行ってきます。ウォーレス線に隔てら れ、アジアとオーストラリアの動物相の境目となる島です。報告は帰ってきてから。しばらく音信不通になります。