main_phot

2004年1月「ウブド村暮らし通信」

一覧へ戻る | 2004年2月の通信はこちら

 

01/09 ウブドは雨

バリはいま雨季です。毎日のように雨が降っています。今日も朝は南の太陽がカッと照りつける、いつもの暑さの始まりでした。ところが午後になると、一天にわかにかき曇り、時をおかず豪雨。日本の集中豪雨の時の ような激しい雨がおよそ1時間続きました。こちらの雨はいつも半端な降りではないんですよね。日本の梅雨の ようにジトジトとは降りません。ダーッときて、サッとあがるやつ。毎年11月 から3月ぐらいまでが雨季にあたり、あとは乾季です。バリを訪れる人は 好き好きですが、雨季は雨の恵みで花が咲き乱れ、果物がおいしいと 好んでこの時期を選ぶ人もいます。果物は何といっても王様、女王様の ドリアン、マンゴスチン、それにマンゴー、パパイヤなど、盛りだくさんに 食べられますから。
 今日から先祖を迎えるガルンガンの行事がスタートしました。この行事に ついては改めて書きます。先ずは第1号です。なおご存知の方もあろうか と思いますが、うちのスタッフのボンさんがメールアドレスを持っています。 もしよければメールをしてやってください。bintanglima@indo.net.id ボンさんには、ひらがなで送ってね。

01/12 ガルンガンとクニンガン その1

今日はバリ島のお祭り、ガルンガンとクニンガンについて書きます。 バリ島の宗教は、ご存知の通り、ヒンズー教です。インドネシア国は90 %以上がイスラム教徒ですが、バリ島だけはヒンズー教徒が大半です。 これには長い歴史といろいろな理由があるのですが、今回はとりあえず 省きます。一つだけ、バリ島のヒンズーはインドのように厳格でなく、なん となく日本の八百萬(やおよろず)の神様信仰と似通っていて、ある意味 では融通無碍(ゆうずうむげ)なところが親しみやすく、信仰心の薄い私 でもお寺参りにあまり抵抗はありません。
 さてガルンガンとクニンガンは日本の仏教儀式の「お盆」にあたります。 あさって14日にご先祖様を村の寺や自宅にお迎えし、10日間、一緒に お祭りをし、またお送りする行事です。バリ島では宗教行事の際、210日 の暦が採用されていてガルンガンとクニンガンはこの1年の間に1回、 行われます。
 今日12日はお迎えのためのペンジョールづくりが各家で始まりました。 長い竹竿を龍に見立ててその背中や腹に当たる部分を椰子の葉で飾り、 稲、果物をできるだけたくさんぶら下げて神様や、ご先祖様に感謝する お供えとし、ヒンズーの総本山ブサキ寺院へ向けて明日13日の夕方、 各家の門ごとに立てます。バリ中の家に、このペンジョールが立ち道路 沿いに並ぶので、それは壮観です。オダラン(村の寺のお祭り)の時にも、 ペンジョールを立てますが、今回の方がお供えが豊富です。また私たち がいるギアニャール地方では、新婚さんの家には2本のペンジョールが 立っています。この続きはまた明日・・・

01/13 ジェゴグとケチャ

ウブドにはいろいろな呼び名があります。「芸能の村」というのも、その一つ。ウブド各地に散在する宮殿やお寺の中庭、村の集会所などで、 毎晩、どこかの村のグループがバリ音楽のガムラン演奏、ケチャ、レゴン、バロンなどのバリ舞踊、そして影絵芝居などを催しています。私もウブドへ来るたび2,3回は観賞に行き ますが、すべてを見るには1ヵ月近くかかりそうなぐらいです。今回はビラ・ビンタンに宿泊している女子大生たちの案内がてら新しく作られたグループの演奏会を二つ、のぞいてきました。
 その一つは私たちのいるブントゥユン村(約220世帯、900人)の人たちが始めたニュー・ジェゴグ。ジェゴグは巨大な竹で作った楽器を打ち鳴らし 重低音がお腹に響くバリ音楽のガムラン。もともとバリ島の西部、ヌガラという土地で演奏されていましたが、第2次大戦中、竹が武器になると禁止 されていました。戦後、復興させ世界にジェゴグを広めたのが、エンタティナーのスウェントラさん率いる楽団「スアール・アグン」です。毎年のように 世界各地を演奏旅行し去年も伊丹市などで公演があったようです。
 ブントゥユン村のジェゴグ・グループはウブドに長年住んでいる鈴木靖峯さんが村人と協力して作り上げました。一昨年には村を訪れた神戸の和太鼓のグループと競演して喝采を浴びました。 この時の経験から上半身裸で太鼓を打ち鳴らす姿をイメージして巨大な竹(高さ3.5m、幅4m)の楽器を縦に並べ従来の楽器と合わせ演奏するスタイルを生み出したの が「ニュー」という訳です。もちろん曲も新しく作り、汗びっしょりになりながらの演奏に観客も大拍手でした。皆さんがウブドへ来られたら、ぜひ、 この演奏を聴いてやってください。グループの名前は「スアラ・サクティ」。 毎日曜日午後7時からブントゥユン村のお寺の中庭(ウブド王宮から北へ約2.5km)で公演があります。チケットはウブドの案内所などでも売っています。 ちなみに料金は5万Rp(ルピア)=日本円で約650円です。

01/14 ガルンガン

 きょう14日はガルンガンです。ご先祖の霊が帰ってこられる日。昨日13日に、各家にはペンジョールが立てられすべての道路に竹のアーケード ができたよう。それぞれの家では今日に備えて、最大のご馳走、ラワール(豚肉とココナッツ、ジャックフルーツ、豆、野菜などをボイルし細かく刻んで 調味料を加え混ぜ合わせたもの)やサテ(焼き鳥)豚のソーセージなどを作って準備を整えています。
 今日は朝から村のお寺にお参りし、それぞれの家の祠でもお祈りをして、ご先祖を迎えます。私たちも正装してブントゥユン村のお寺へお祈りに行き ました。村の人たちも三々五々、寺の中庭に集まり、祠に向かって200人余りが座り込んで待つうち、プマンク(寺僧)の打ち鳴らす鈴に合わせてお 祈りが始まります。線香に火をつけ、その煙を身体に浴び、まず1回目は手に何も持たず合掌して祈ります。2,3,4回目は、花びらを指の先に はさみ祈り、最後にもう一度、何もない手で合掌します。その後、プマンクが列の端から順に聖水を振り掛けます。受ける方は掌を重ね、最初に受け た水は頭や顔にふりかけ次に3回、手に聖水を受けて飲みます。(最初の頃はこの聖水を飲むのに勇気がいって手の間からすべて地面にこぼしたり していました)今は、ちゃんと飲んでいます。何といっても聖水ですから・・・。そしてもう一度頭にふりかけ、手に水に浸したお米を数十粒入れてもらい ます。これを額に張り付けたり口に含んで儀式は終わります。
 この後、ブントゥユン村の村役の一人で、私達のコテージで運転手役などを務めてくれるストウさんが自宅へ誘ってくれ、ラワールやお供えのお下が りに果物、お菓子をご馳走になってきました。
 ガルンガンの明日15日は里帰りした人たちがそろって、どこかへ遊びに行くそうです。もちろん若者たちは街へ、デートもありなようです。日本のお 盆とそっくりですね。このため多くのレストランやショップは閉店しています。 かつては勝手の分からない観光客が食事場所を探すのに苦労したそうですが、今はオープンしている所もあって不自由はないようです。

01/17 ガルンガンが明けて

 ガルンガンが明けてウブドに日常が戻ってきました。里帰りしていたホテルやレストラン、ショップのスタッフたちが戻ってきて町は活気づいて います。ウブドのメインストリート、モンキーフォレスト通りやラヤ・ウブド通り、ハヌマン通りなどを散策する観光客の姿も多くなったような気がし ます。ウブドの中心の十字路の角にあるパサール=市場も朝から大にぎわい。昼前には国内観光ツアーでジャワ島から大型観光バスで乗り込ん できたインドネシアの人たちがどっと詰め掛けています。
 観光客で、このところ目立つのは韓国の人たち。空港でもハングルで出迎える旅行代理店の社員や添乗員のバリの人たちが大勢います。 かつての日本の観光ツアーのように団体旅行が主流のようです。こんなところにも最近の韓国の勢いが現れているように思います。
 日常が戻ってきて、暑さも、いつものバリになってきました。昨日は雨が降らず、一日カンカン照り。気温はぐんと上がって30度を超しています。 室内でじっとしていると、そよ風が吹いて心地よいのですが、ちょっと動くとじわーっと汗がでてきます。日本は寒いとメールに書いてあるのですが、 全く別世界です。 それでも朝夕は涼しいくらい。これがバリ島中部のウブドらしいところです。
 ガルンガンの間、「行きつけの店がみんな閉まっているんだよなあ。夜のご飯、どうします?」なんて誘いに来ていた一人暮らしの桜井さんも ほっとしています。桜井さんはウブドの村はずれに友人と共同経営でコテージを4,5年がかりで最近、やっと完成させた人です。ウブドに長年 住んでいる鈴木靖峯さんは、さっさと逃げ出してしまいました。シンガポールの中国人街の旧正月を見てバンコク、チェンマイを回って、25,6 日には帰ります-と言って・・・・・。
 そうそう、ボンさんにメールを送って下さったメンバーの方がおられます。 ボンさんが大層、喜んでいました。よければ皆さんもメールを送ってやってください。

01/20 ドリアンを食べる

ウブドは今日、雨模様です。4,5日降らなかったので、田んぼの苗も今日は、しゃきっとして見えます。
 昨日、チーフのボンさんがドリアンを買ってきてくれました。
 ちょっと横道にそれますが、ボンさんは本名ではありません。「I WAYAN WIDANA=イ・ワヤン・ウイダナ」が本名です。バリ島北部の山間地にあるボン村の出身で、いつ、だれからともなく「ボンさん」と愛称で呼ばれるよう になり、それが今は通り名になってしまいました。ちなみにボン村出身者が私の周辺では数多く働いています。隣りのコテージ・プソナのラシオさん もその一人で、ボンさんのいとこ・・というふうに。
 あ、ドリアンの話。先ずにおいを思い浮かべますよね。大半の人は「悪臭」といいますが、中には「芳香」という人もいます。シーズンになると市場や 売店からのにおいは車で通り掛かっても分かります。ホテル、飛行機は持ち込み禁止。果物の王様にしてはひどい扱いです。昨日、テラスの隅に 置いていたのですが、室内のどの部屋にもにおいが漂っていました。
 それだけ熟れて食べごろなんでしょう。大きさはフットボールくらい、パイナップルに似ていますが、外皮はもっと堅く、恐竜の背中のようにとんがっ た突起があって触ると痛いくらいです。これを割るのが大変。スタッフのカデさんとニョマンさんが竹工作用の小さな鉈を持ち出して力任せにこじ 開けます。中には薄い白色の皮膜に隔てられて4,5個ずつ、卵大の種子が入っています。この種子をくるんでいるのが少し茶色っぽいクリーム色 で、ねっとり、チーズ状の果肉。ほどよい甘さ、とろける食感なんですよね、これが。スタッフは皆、大好き。特にマネジャーのワヤン・スワティさんなど、 ほうっておけば、一人で全部、食べてしまいそうな勢いです。
 ところがバリの人でも嫌いな人はいるんですね。手伝いの若い女性は鼻と口を覆って逃げ出してしまいました。コテージの隣りの棟の宿泊客の オランダ人の老夫婦には「オー、ノー」と首をすくめられました。ちなみに今、1個30,000Rp=約400円です。
 まあ、食わず嫌いにならず鼻をつまんで、一度、食してみてください。

01/23 ウブドの電子メール事情

 通信不良で悪戦苦闘しておりました。私は自分のノートPCを担いできてso-netの海外ローミングを利用して接続しているのですが、一昨日、 突然、「ユーザーIDかパスワードのどちらか、あるいは両方が無効です」というメッセージが出て、つながらなくなりました。朝は快調につながって いたのに、午後に全く突然です。いろいろトライし息子に国際電話してみたりしながらいじくり回していたんですが、らちがあきません。やむなく昨日、 シンガポールの海外ローミングサポートセンターに電話し、設定のチェックなどしてみたんですが、相変わらず。担当者の助言でアクセスポイントを バリ島内のデンパサールからジャワ島のジャカルタに変えてみました。すると、受信は可能になったのですが、今度は送信が不可。仕方なく バックアップに使っている別のPCからyahooに接続し急用のメールだけは発信しました。
 ウブドには、このほか、このところインターネット・カフェが増えており、当面のメールのやりとりは何とかこなせるのですが、込み入った用件は ちょっと困りますね。
 再三のやりとりで、どうやらプロバイダー側のサーバにメンテナンスの際、障害が発生しているらしいことを担当者がにおわせました。ユーザーから 問い合わせが結構、来ているようで、送信も何度かトライしていただけると、通ることがあります、という話。で、今朝、たまっていたメールでトライ3度、 やっと送信できました。このメールも何回で送信できますか。でも、まだ電話代の高いジャカルタ接続なんですよね。という、今日はちょっと余分の お話でした。海外経験豊富な方、どんな方法が安定していいのでしょうか、教えてください。

01/25 クニンガンも終わり

 バリ島のクニンガンが昨日、終わりました。村のお寺や家々の祠にお帰りなっていたご先祖の霊を送り出して、今日一日、ゆっくりと休んで、明日から普段の生活が戻ってきます。そのために村々のバロンが村の周囲や各家を回って、悪霊払いの踊りを昨日から今日にかけて続けています。バロンは獅子頭のようで、ちょうど日本の秋祭りに獅子舞が門ごとに舞い、門付けをして幾ばくかの寄付をいただくのと、まったく一緒です。
 大方の村は日常に戻るのですが、そこはお祭りの島、バリ島です。並行して寺の創立記念日のお祭りオダランが、あちこちの村で行なわれており、村の人たちはクニンガンの片付けもそこそこに、次の祭りで大忙しです。
 メールを見ると、日本は大寒波のようで、皆さん、身体には気をつけてください。なお鶏ウイルスは、全く影響ありません。そんな話題も出ないくらいです。こられる方、ご心配なく。

01/30 バリ料理で大パーティー

 ウブドは、このところ毎日、午後3時か4時になると、雨が降ります。天の底が抜けたかと思うくらいの集中豪雨。2時間ほどでやむと、後は 太陽が照り付け、満天の星空となります。今日は友人のお客さんたち6人はヌサドアのグランド・ハイアットへエステと水遊び、1人はラフティング、 2人はコテージのテラスでのんびり、という過ごし方で私も時間が空き、通信を書いてます。
 一昨夜、パーティーをやりました。趣旨は本物のバリ料理を味わい、コテージの宿泊客とスタッフや地元の人たちが交流すること。またお客さん の一人のお嬢さんの21歳の誕生日祝いも兼ねました。参加者は日本人12人、オランダ人2人、バリの人16,7人。
 この日、スタッフが手作りで用意した料理は、まず魚の団子入りスープ、そして定番のラワール。これはアヒルの肉のミンチにジャックフルーツや にんにく、とうがらしを細かく刻んで塩、コショウで味付けしたもの。生血と唐辛子をたっぷり入れた飛び切り辛いの、少し辛いの、あまり辛くないの、 の3種類です。
 泥鰌の空揚げもビールのつまみに最適。泥鰌ににんにく、唐辛子、塩、コショウをまぶして絡み合ったまま揚げたもの。チキンはバナナの葉にくる んで丸焼きしたものを細かく割いてレモングラス、とうがらし、塩、胡椒、あぶらであえたもの。これに白いご飯。さらに私のさぬき手打ちうどん (陰の声「手抜きうどん」)奥さんのケーキ、が全メニューでした。
 食堂の前庭にござを敷いて車座になって会食。スタッフやブントゥユン村のジェゴグ奏者の人たちがにわかづくりの竹のガムラングループを 編成してパーティーに花を添えてくれました。宴たけなわになると、ケチャダンス、レゴンダンス(もちろん自己流=阿波踊り風、盆踊り風、なんでも あり)の競演。バリの歌、日本の歌の競演もありで、中空のお月さんがあきれるほどの大騒ぎで夜がふけていきました。

ページトップへ