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2004年8月「ウブド村暮らし通信」

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08/01 ロンボクヘの船旅

ウブドは午前中、晴れていたのですが、午後から珍しく雨が降り、ひんやりとした風が吹いています。午前中、ウブドのサッカー場で毎年恒例の 子どもたちの凧揚げ大会(鈴木靖峯さん主催)が行われました。
 さて、ロンボク報告を2回に分けてお送りします。
 バリ島の東隣、同じインドネシア国の西ヌサ・トゥンガラ州に属するロンボク島へ3泊4日のバカンスに出かけてきました。(毎日がバカンスやろ に!いまさら・・・・というツッコミはさておいて)。
 ロンボク島はバリ島をやや小ぶりにしたような島。人口約280万人。85%がササックと呼ばれる人たちで、バリ島から移り住んだ人たちや 外国人も住んでいます。宗教は大多数がイスラム。開発された海岸や州都のマタラムがあるのは島の西部で、多くの人が集まっています。 東部は3,700mを超すリンジャニ山など大自然が手付かずで残っているそう。観光客は欧米人が中心で、日本人はまだ足を伸ばす人が少ない ようです。私も滞在中、一人の日本人も出会いませんでした。
 小型プロペラ機が怖いというウチのカミサンの要請で船旅を選んだのですが、これが面白いというか大変でした。飛行機なら25分ですが、バリ島 パダンバイ港から乗った小型高速船は、公称2時間が4時間半かかり、かなりの揺れで真っ先にボンさん、そしてカミサンもダウン。宿泊地のスン ギギビーチに着くと船は沖に停泊。迎えの小型ボートにこわごわ飛び移ると、ボートは真っ直ぐ砂浜へ。ドンと乗り上げたところでズボンを捲り上げ 靴を担いで海中へ着地して上陸というワイルドな船旅でした。
 帰りは揺れの少ないフェリーを選んだのですが、こちらは双方の島の人たちが生活に利用している便で船室は超満員。床も寝転がっている人た ちで足の踏み場もないほど。客引きのお兄さんに誘われ追加料金を若干払って2段ベッドのある穴倉のような小部屋を確保できてやれやれ。さすが イスラムの国、船には礼拝室があり、ひっきりなしに船客が訪れ礼拝をしていました。
 行きはお目当てのバリ島の霊峰アグン山が雲に隠れてがっかりでしたが、帰りは、しっかり拝めて4時間が短く感じられる船旅でした。

08/02 ロンボクの夕日

 ロンボク海峡は、西田さんの指摘のように重要な水路ですね。ただ最近、あまり海賊のことは聞かないです。そういえば昔、神戸学院大に飯田さんと いう海賊法の権威がおられたことを思い出しました。そして、海峡を渡りながら、60年ほど前、日本軍が、現在でもジェット機で7時間余りかかる、こ の地域へ勢力をのばし統治しようとした事実を思い起こし、何ともはや・・・の感慨でした。
 ロンボクはバリ島に比べ暑くて乾いており、オーストラリアを思わせる森のない山が目につきました。米も水不足で年1回の収穫だそうです。
 観光は〝海派〟にとっては、こたえられない環境でしょう。古くから開けたスンギギ・ビーチ、少し南のクタ海岸(ここは政府がらみの大開発計画が 経済破綻でストップし自然が多く残っています)北の方で最近人気のギリ3島などの海。
 私たちはスンギギのロンボク・インタン・コテージに3泊し、近くのマタラム、アンペナン、クタに足を延ばしたぐらいですが、バリをしのぐ砂浜と海の青さ を堪能しました。インタン前の砂浜ではビーチ・バレーの国内大会が開かれておりスンバ、スラウェシなど各島代表が終日、にぎやかに奮闘していました。
 ロンボクで食べるものといえば、シーフードはさておきアヤム・タリワン、そう地鶏の丸焼き。地元の人に連れられて訪れた「Dua・EM」という店。 テーブルにつくや否や「ビンタン!」と叫んだのですが、ないという。さらば「アンカー」で我慢するかと思ったが、これもない。あたり前の話でした。 ムスリムの島、しかもオーナーがお坊さんとあってはアルコール抜きもやむなしでした。もちろんタリワンに、有名なロンボク豆腐、野菜のカンクン (空心菜)は絶品でしたが・・・・
 州都マタラムのショッピングモールは相当の規模。電器製品などバリより安いくらいで、なんで?の思いでした。スーパーの品揃えも日本食が皆無なのを除けば立派なもの。
 スンギギ・ビーチに近く海沿いの岩場に立つヒンズー教のバトゥ・ボロン寺院に夕方、お参りし下の砂浜へ降りると、寺院をシルエットに、海峡の 向こう、バリの霊峰アグン山の山陰に大きな夕日が落ちるところ。バリにもクタなど夕日の美しいところはたくさんありますが、これに優るものはない でしょう。こんな夕日を多くの人に見てもらいたい、でもあんまり多くの人が訪れると、お決まりの開発が始まるし・・・と思案しながら、チドモ(庶民の足の乗り合い馬車)を横目に帰途に着きました。

08/04 バリの芸術

 石井さんのメールにありましたウブドの芸術について関連情報を書きます。
 バリ、とりわけウブドの芸術を花開かせた欧米人たちが、幾人かいるんですね。その筆頭がドイツ人のヴァルター・シュピース。1930年代、多くの欧米人がバリを訪れ文化人類学の調査や音楽、絵画の制作に取り組んだ時、ほとんどの人がバリ事情の師と仰いだ人。ドイツの映画撮影隊のために、寺院の奉納芸能だったケチャダンスを再現したのをはじめ画家協会設立などウブドの文化芸術に多くの影響を与えています。ウブドの西、チャンプアンに家を建て、ここには常時、芸術家たちが集っていたという。その家は今、ホテルになっています。またこの年代、フランスのパリで植民地博覧会というのが開かれ、ここで公演されたバリダンスや展示が一挙に世界のバリへの関心を集めることになります。
 シュピースの影響を受けた一人がミゲル・コバルビアスでバリに関する古典ともいわれる「バリ島」(邦訳は平凡社、1991年)を書いています。画家のルドルフ・ボネ、音楽家のコリン・マックフィーらもそうです。この人たちが持ち込んだ欧米の芸術の影響をバリの人たちは見事に受け止め、古来からの芸能と融合させて自分たちのものとしてバリ文化を発展させ、現代の華やかな文化としています。そのしたたかさが、私は好きなんですね。
 なおこのあたりの事情は、「バリ島芸術をつくった男 ヴァルター・シュピースの魔術的人生」(伊藤俊治著、平凡社新書、2002年)「演出された楽園・バリ島の光と影」(エイドリアン・ヴィッカーズ、新曜社、2000年)「バリ島」(永渕康之著、講談社現代新書、1998年)などに詳しいです。

08/06 神様になる

 昨夜、ウブドの王宮へおよばれに行ってきました。先日来、ウブドの王宮と周辺の村の火葬儀式について書きましたが、葬送の儀式はまだ続いているのです。その一環で昨夜は王宮はじめ各村の被葬者を神様として、お迎えする儀式がありました。
 私が王宮に招かれるはずはなく、実は鈴木靖峯さんの招待状をもらって入ったのです。鈴木さんはブントゥユン村のジェゴグ・グループがジン バラン近くの公園で行われたインターナショナルのビジネスマンたちのパーティーにチャーターされたのに付き添いで出掛けることになり、招待 状が私たちに回ってきたという次第です。
 昨夜の儀式は先に火葬の後、灰にして海へ流した霊魂を再び村や家のお社に神様としてお迎えするためのものです。正装した人たちが続々と王宮へ集まり、数組のガムランや戦士の踊り、女性たちの踊りも披露され、弔いより、神様となることの祝いのパーティーの雰囲気。会食して 王宮を後にしましたが、深夜まで映画観賞など、にぎわっていたようです。
 王宮の葬儀と合同の葬儀を行ったウブド、サンバハなど4村の人たちも王宮前の道路に集まり、お供えをし遅くまでお祈りをしていました。今日か ら、儀礼はまだ続き、海岸へ霊魂をお迎えに行き、ゴア・ワラ寺院、ブサキ寺院などへお参りして、ようやく神様としてお迎えできることになります。
 そして、これとは別にガルンガンのための準備が昨日から始まりました。ガルンガンとクニンガンは日本の「お盆」のようなもので、ご先祖様をお迎 えし10日ばかり一緒にお祭りして感謝と安寧を祈るのです。210日の暦で1年に1回、めぐってきます。私は今年1月にもガルンガン、クニンガンの お参りをしました。先日、お送りしたウブド村暮らし通信バージョン1を参照して下さい。
 とにかくバリの人たちは忙しい・・・・

08/07 皆さんにお便り

 昨夜、ブントゥユン村のジェゴグ・グループはパーカッション、オーストラリアのディジュリドゥ、アフリカのなんとかいう楽器とのセッションがスペシャル・プログラムとして行われました。いずれも日本人奏者。こんな日の観客は得が「にばい、にばい」(ちょっとフルイ(^_-)-)。昨日、バリの人は忙しい、と書きましたが、私も毎夜、結構、忙しい。
 ここでニュースを一つ。ウブド村暮らし通信「バリの芸術」で、「バリ島物語」などの企画・取材に携わってこられた東海晴美さんのことを書きましたが、渡部進治さんの努力で連絡が取れました。
 東海さんから「私がはじめてバリに行ったのは1977年、プリアタン村のグンカの取材が85年でしたか・・そのときにバリの変わりように驚きましたから、ついつい足が遠のきました。当時新潮文庫にバリの企画を出したところ、台湾や香港ならともかくほとんど知られていないバリ島の旅の本なんか売れませんと言われたものです。パルコ出版でも説得するのが大変でした」と、お便りをいただきました。この通信のメンバーに登録させてもらいましたので、そのうち、投稿をいただけると思っています。

08/10 バリ料理ラワール

 明日はガルンガン(日本の迎え盆のようなもの)です。今朝は朝早くからバリ中の家で「トントントン」と丸木のまな板に包丁を打ちつける音が響い ています。神様にお供えするバリ島特有の料理ラワールを作っているのです。料理をしているのは概ね男の人たち。特別の理由でもあるのかと 問うと、「お母さんたちはお供えを作るのに忙しいから」という返事でした。
 ラワールは一口で言うと肉のミンチに多くの種類の野菜と香辛料を細かく刻んで混ぜ合わせ、ご飯にまぶして食べる料理です。簡単なようですが、 結構、手が込んでいます。使う肉は豚、鶏、アヒル、牛、海亀などさまざま。それぞれの家庭の経済事情や好みで選びます。豊かな家では早朝から 豚1頭を料理用に調理しますが、多くは鶏かアヒルです。一番おいしいのは海亀だそうですが、周辺の海域は国際条約で捕獲禁止になっているはず。 「でも、あるよ」と、バリの人たちはおおらかなものです。そういえばブントゥユン村の祭礼の時にも生贄に大海亀が供えられていました。蜂の子を入れる所もあるようです。
 生肉は細かく刻んで香辛料と混ぜ合わせバナナの葉でくるんで炭火で蒸し焼きにします。野菜はパパイヤ、ジャックフルーツ、スターフルーツ、 豆、青野菜を茹で、細かく刻みます。地域によっては筍、椰子の若い実を使うそうです。別にニンニク、唐辛子、うこんなどのスパイスを炒めて、これ も細かく刻んでおきます。これらを少しずつ混ぜ合わせながらスパイスを多めにするなど各家の独自の味付けをして出来上がりです。生の血を混ぜ合わせた種類のラワールを作る家庭もあります。
 先ず神様にお供えした後、残りは家族でいただくだけでなく、知り合いの人たちにもおすそ分けをします。ビラ・ビンタンにはブントゥユン村のストウ さん、スウェチさん、カフェ・ビンタンのブラタさん、そしてビラ・ビンタンのスワティさんや隣のビンタン・プソナから、それぞれ自慢のラワールが届け られ、昼食に、それぞれのを味見しながら、しっかりいただきました。さらに残ったラワールは夕食、あるいはあくる日、バナナの葉にくるんで蒸すと、 また違った美味しさだそうです。試してみようと思っています。
 バリのラワールを食べたい方は、いつでもどうぞ、いらしてください。私が作ってあげますから。

08/11 今日はガルンガン

今日はガルンガン。昨日の午後からペンジョールがバリ島の全ての道路に立ち並びました。ご先祖様をお迎えするためにブサキ寺院(バリ・ヒンズーの総本山)へ向かって、長大な竹竿を飾り立て家ごとに立てるのがペンジョールです。高さ7-10mはある竹の先っぽに吊り灯篭のような飾りをぶら下げ、2mほどの所にお供えの小さな小屋が作られています。 よく見ると、竜の背骨になぞらえた竹竿の飾りは少しずつ違います。「ウブドのはきれいよね」というのが芸術の村を自負するウブドッ子の自慢です。  ペンジョール並木の通りを行き来するバリの人たち、男性は頭に白のウダン(冠のようなもの)白の制服、サロン、女性は色とりどりのクバヤに サロン、帯姿。子どもたちも、同じ服装で、ちょっぴり大人びて見えます。みんなうきうきした表情ですが、とりわけ子どもたちは、先週からずーっと クニンガンまで休みに入っているのですから、跳びはねています。
 私たちも、もちろん正装して、朝から村の寺であるブントゥユン村のお寺へお祈りに行きました。プマンク(寺僧)の経文を唱える声と打ち鳴らす鈴 にあわせて花びらを指につまんで合掌。繰り返し5度の合掌。そして聖水を掌にもらい飲み、頭に降りかけてお祈りは終わります。これをご先祖の 寺、村の創設時に作られた寺など四つのお寺で繰り返します。信仰心の薄い私ですが、ちょうどお盆でもあり、遠く日本のご先祖様にもお祈りを捧 げました。帰りに村の中のストウさんの家でラワールやお供えのお下がりのご馳走にあずかってきました。
 この後、村の人たちは、それぞれの家にある社、そして部屋や台所など各所にある小さな社でもお迎えの祈りをします。私たちもマンディの後、コテージの社で祈りました。
 ウブドの中心街の様子を見に一回りしてしてみたんですが、さすがに市場は休み。カフェ・ロータスなど何軒かは閉めていましたが、ほとんどの カフェ、ショップは開店、観光客も相変わらずいっぱい。ただ開店しているところもスタッフが里帰りしていて、いつもより少なめに見えました。
 通りではバロンを担いでガムランを鳴らし門付けの獅子舞のように各家を巡る子どもたちの姿、夜にはお寺でバロン劇の公演など、これからクニ ンガンまで10日余り、またゆったりとしたバリの時間が流れます。

08/17 インドネシア独立記念日

 今日、17日はインドネシアの独立記念日です。国内各地で記念式典が行われたようですが、ウブドでも街の中心部にあるサッカー場で午前9時からセレモニーがありました。参加したのは幼稚園児、小・中・高校生、 警察官、軍人、郡役所の人たち、退役軍人など約1,500人。中学生のブラスバンドに合わせて男子高校生 が白の制服姿で入場、国旗掲揚、国歌斉唱、ウブド郡長のあいさつ・・・と式典は続きました。
 サッカー場を取り巻く一般市民や観光客に混じって見物していましたが、つと一人のおじいさんが隣に立ち、国歌斉唱の時、しわくちゃの野球帽を 取り敬礼しながら「ムルデカ インドネシア・・・」と歌い始めました。終わると、私の肘に軽く触れながら小声で「いち、にい。さん、し、ご、まわれみ ぎ」。思わず「日本語を、よく忘れずに」とカタコトで話し掛けると、ニッと笑って今度は「ゆうきりんりん・・・・」と私も聞いたことがない軍歌を口ずさ み、「ありがとう、さよなら」と言いながら人込みに消えて行きました。あまたのことを刻み込んだ、しわの深い顔を見送りながら、インドネシアの歴史 を改めて思い起こし、何か胸に迫るものを感じました。
 インドネシアは長年、オランダが植民地として統治の後、第二次大戦で日本が進出。1945年、日本の敗戦直後の8月17日、スカルノ、ハッタ 両氏が独立を宣言。しかし実際に独立をかち得たのは4年後でした。激しいオランダとの戦闘で戦死し国家の英雄とされるングラ・ライ氏の名前は 空港の名前として残されています。(デンパサール空港の正式名称)日本の統治時代、日本語教育などを持ち込んだ当時の記録が当事者の手紙 を復元する形で最近、出版されています。「日本占領下のバリ島の教育」(だったと思います。今、手許にないので)もちろん、一方の当事者の見 方、考え方ですが、バリの人たちが日本語を記憶している事情を知る手掛かりにはなると思います。
 少し横道にそれましたが、独立記念日を祝うため2,3日前から各家や役所、商店の軒先に国旗が掲げられ、ショーウインドウの飾りなどにも 国旗の模様が目立ち始めました。インドネシアの国旗は日本と同じ白と赤のシンプルなもの。上下に真っ二つに分かれ上半分が赤色、下半分 が白色です。この季節には道路際に国旗売りの屋台が目立ちます。
 昨夜は前夜祭で夕方、松明をかざした人たち約300人がウブドの街を練り歩き戦闘で亡くなった人の霊を弔った後、サッカー場で歌や踊りの イベントがあり約2キロ離れた私たちのコテージまで大音響のスピーカーからがんがん音楽が流れてきました。
 今日の午後はつるつるの椰子の木に油を塗り、そのてっぺんに賞品をぶら下げて、よじ登る競技なども行われて、にぎやかな記念日は終わりました。

08/20 バリ島へ洋上大学

 明日、21日、日本の大学生500人が一斉にバリ島へ上陸します。兵庫県洋上大学セミナーひょうご2004の一行で、今月14日に「ふじ丸」で日本を出発し初の寄港地バリ島のブノア港へ明日の朝に着き、バリの大学との交流やフィールドワークをします。兵庫県の洋上大学は1989年に始まり今年で13回目で、バリ島へは今回で6回目です。学生たちは船内の講義で単位を取得し、また各地の風物に触れることが出来るというハッピーな船旅です。バリ島は22日に出航、オーストラリア、シンガポール、中国へ寄港する予定。この通信のメンバー、西田さんは第1回に渉外部長として乗船されたんですよね。兵庫以外の各都道府県でも同じような事業があると思うのですが、どうですか?またメンバーの中にも乗船された方があるかもしれませんね。
 この船にはウダヤナ大学の副学長ウィラワン氏と同大学の学生20名が日本から同乗し交流しながら船旅をしてきます。そして21日夜にはバリ州知事公邸でレセプションが開かれることになっています。学生たちとバリ島の大学関係者ら700人が出席する大きなパーティーになりそうです。私も招待していただき出席します。というのも、学生たちを率いて兵庫県知事代理で乗船している神田栄治さん(兵庫県理事・兵庫県立大学事務局長)が旧知の人で、お誘いをいただいた次第です。その様子は、また明日、報告しますが、こうした交流の輪が、さらに広がることを期待したいですね。

08/23 クニンガン明け

クニンガン(21日=送り盆のようなもの)マニス・クニンガン(22日=クニンガン明け、里帰りのようなもの)が終わり、街や村に日常が戻ってき ました。ガルンガンで休みだった学校も2週間ぶりに始まり、子どもたちの歓声が教室から聞こえます。
 クニンガンの日、私たちは早朝から、いつものように正装しブントゥユン村の四つのお寺にお参りした後、ビラ・ビンタンのお社でもお祈りをしました。 また宿泊に、うちのカミサンの乗馬クラブの友人一家4人が来られているので同じように正装してもらって一緒にお参りした後、マス村のお寺の オダラン(お祭り)見物に行ってきました。例年(といっても210日の暦)クニンガンと同時期に、このマス村ともう一つ、デンパサールのサケナン 寺院で大きなお祭りが行われ、バリ島内各地から大勢の参拝客でにぎわいます。帰りにギアニャールのタリワンで正装姿のまま地鶏の丸焼きに かぶりついてきました。この日ばかりは周囲がみんな正装なので、あまり違和感はなかったですね。
 21日の夜、デンパサールの州知事公邸で兵庫洋上大学の一行を迎えたパーティーが開かれ、招待を受け出席してきました。洋上大学に公邸が 開放されたのは初めてのことだそうです。デンパサール市の中心部、ププタン広場のそばにある公邸は1ブロック全てが敷地と思われる広大な もので、会場周辺も大型バス10数台を連ねる一行に警官、軍人が出て、交通整理、警戒にあたる物々しさでした。公邸の一角、中央に割れ門の ステージがある中庭にテーブルとイスを700人分並べた会場は壮観でした。ステージ真ん前の来賓席は丸テーブル五つ。メインは神田栄治・兵庫 県理事(知事代理)とバリ州副知事、ウダヤナ大学長、中す(サンズイに列)兵庫教育大学長、野村在デンパサール出張駐在領事、田中裕・兵庫県 国際交流協会事務局長ら。他に関係者合わせて約40人が着席。あまり関係者でない私たちも一緒で恐縮でした。同じテーブルでは兵庫教育大で 英語を教えているイギリス人の教授、これから乗船するパースの教授、ウダヤナ大学の教授、斎藤・兵庫大教授、船上で現代作法を教えている 篠田弥寿子さん(この方は大昔、西宮在勤中に何度かお会いしたことがあり思わぬ所での再会にお互いびっくり)らと話が弾みました。
 パーティーでは副知事、神田理事が「伝統文化を守り育てるために一層、交流を深めよう。そのために学生たちに期待する」とあいさつ。バリのレゴ ンダンス、学生たちの合唱などが披露され、あちこちで交歓の輪ができる有意義な一夜でした。
 神田さん、田中さん、中すさん、同大副学長の佐藤さんの4人は22日のプライベートな時間にウブド視察で、我がビラ・ビンタンへ来られ、一緒に 王宮や美術館を回り、ウブドでいま一番人気の「ベベ・ブンギル」でアヒルの丸揚げを食べながら、しばし歓談しました

08/27 ジンバランの夕日と魚

 今日はジンバランの夕日と魚の話題です。このところ、ジンバランの夕日を見ながら新鮮な魚を食べる機会が増えています。ビラ・ビンタンに宿泊さ れた友人・知人をングラライ空港(デンパサール空港)へ見送る際、バリ島最後の夜の夕食に、ここをお勧めしているからです。
 ジンバランはバリ島南部、空港のすぐ南にある湾に面した青い海と砂浜がきれいな所。もとは小さな漁村だったのですが、空港が間近なうえ最大 の観光スポット・クタやサヌールに近いことから、フォーシーズンやコンチネンタル、リッツカールトンなどの高級ホテルが建設され、観光客が訪れ るようになりました。今では、空港からフォーシーズンに至る砂浜数キロにわたって、ぎっしりテーブルが並び、シーフードの一大野外レストランとなっています。
 私たちがよく利用するのは空港よりの「カフェ・ウルワツ」。だいたい午後6時ごろに入り、案内されて波打ち際のテーブルに着くとビンタンなど飲み 物を注文しておいて、店頭の水槽や発泡スチロールに入ったロブスター、大きなエビ、イカ、魚を選びに行きます。量り売りで分量を決め、椰子殻で その場で焼くか、揚げるか、調理法を指定して、後は夕日を眺めながら待ちます。真正面の水平線に沈む真っ赤な夕日、シルエットの漁船と雲に 見とれているうちに料理が出来上がります。
 魚、ロブスター、エビともに両開きにして丸焼き、イカは細く切ってからっと揚げてあるのが美味いです。ご飯は食べ放題、カンクンのいためたのと フルーツがデザートについています。フォークやスプーンといったまどろこしい食べ方でなく、手づかみで食べるのこそ醍醐味です。夜の帳が下りる と頭上には南十字星、砂浜にはテーブルのロウソクが延々と続く、ロマンチックな風景が繰り広げられます。
 さて現実に返って、ちなみに先日、8人で訪れた際の料金はビール、ジュースなども含めて締めて750,000ルピア、一人当たり日本円に換算して約1,000円でした。
 このレストラン、もともとは地元のおばさんたちが地元で獲れた魚を、その場で焼いて食べさせる、極めてローカルなものからスタートしたので すが、今では自然(夕日)や景観(砂浜)そして地場の産物を生かし、雇用を生み出す見事な地域起こしになっているのではないかと思うのですが、どうでしょうか。

08/28 バリと射撃場

 ジンバランの夕日と魚には、やっぱり思い出があるんですね。メンバーから反応がありました。このところ私は、ツイていて晴天に恵まれているの ですが、中には雨季で風雨に見舞われ砂浜にも出られず屋内で食事という不幸な方もおられます。まあ、バリがもう一度、おいでと呼んでいるんだ と思って、再訪して下さい。その時は幸運に恵まれますよ。
 今日は、ウブド地域で初の射撃場の開場式がウブドに隣接しているプリアタン村で行われました。バリ島には、なんだかそぐわないような気もする のですが、ハワイなどと同じような射撃場があることを今日、初めて知りました。デンパサールには3カ所、ギアニャールやシンガラジャにもあるんだ そうです。そして、さらに一つ、ウブドにできたという訳です。
 うちのコテージのマネージャーのボンさんが射撃場で働く友人にもらった招待状を使うのに、くっついてのぞいてきました。村の奥まった田んぼの 中に出来たのは「サドゥ・サクティ射撃場」。ピストルの実弾射撃ができる射場とエアライフルの射場が出来ていました。
 開場式典にはギアニャール県の副知事、ウブドの官庁、警察、軍、それに射撃協会の役員などが勢ぞろい。いずこの式典も同じですが、ここも 「オウム・スワシティ・アストゥ(初めまして、こんにちは)」で始まり、「オウム・サンティ・サンティ・サンティ・オウム(どうもありがとう)」で終わるお偉 方のあいさつはながーい。中で協会長が射撃のバリ島代表選手を紹介し近くパレンバン(スマトラ島)で行われる国内大会で一等を取ったらスズキ のバイク、3千万ルピア、練習用ピストルをもらえる-と披露した時には、どっと沸いていました。バリ島代表は最近、13位、10位と順位が上がっ てきているのだそうです。バリ島の人は、そんなに射撃が好き?と聞くと、そんなでもないけど、子どもころ、空気銃でネズミを撃ったりして遊んで いたよというボンさんの返事でした。
 ビラ・ビンタンに出入りしているドライバーのスサナさんは協会の会員とかで、まめまめしく手伝っていました。彼いわく「もともと射撃場は会員専用 ですが、経営が苦しいので一般観光客にも開放します。1回50万ルピア。お客さんを紹介してね」ということでした。オープニングの試射を見学し昼 ご飯をご馳走になってきました。
 私事ですが、現在、ソーシャルビザの更新手続き中で、カミさんは陶芸教室の展覧会があるので9月末に帰国、私はもう少し居ようかなと思って います。10月いっぱいくらいは。

08/30 バリ島のこわーいお話

 石井さんの指摘がありましたが、それも一方の現実ですね。つい先日、ウブドでは、50歳くらいのフランス人がタトウは彫りたいが痛いのは厭 というので、居合わせた若者から麻酔注射を受け、タトウの最中に死亡するという事故がありました。悪意はなかったのでしょうが、若者は逮捕 され、せっかくのバカンス中の男性の奥さんと高校生ぐらいの息子さんが悲嘆に暮れているというような新聞報道もありました。
 ドラッグの話は、世界の若者が多く集まる、とりわけクタ周辺で以前から取りざたされています。幻覚を呼ぶマッシュルームなども禁止されてい るにもかかわらず売買されていると事情通は話しています。フィクションですが、池澤夏樹さんの最近の小説「花を運ぶ妹」にも、その辺の事情が描かれています。
 クタ海岸周辺に出没する「ジゴロ」や賭博詐欺師の犯罪も多くなっているようです。最近、こちらの旅行社の人が、こんな実話を話してくれました。
 これもクタ周辺で日本人男性が東南アジアの人らしい中年の男性に呼び止められ「娘が日本へ留学しているので心配。日本の様子を聞かせ てくれ」といわれ、1軒の家へ連れて行かれた。お茶やお菓子のご馳走になっているうち、ちょっと遊びましょうとカード遊びに誘われた。そして、 間もなく大金持ちがやってくるから組んで大もうけをしようと誘われ、実際にやってきた人はトランクにぎっしり札束を詰めていたという。最初は勝た せてもらったが、最後に大金を賭けて、筋書き通り大きな借金を背負わされるハメに。現金がないと、ATMまでついてきて、すっからかんにされた -という。最近、この手の犯罪が増えており、領事館に泣きついてくる人もいるんですよ-という話も聞きました。
 また最近の海外ロングステイ、永住ブームで、金離れよく土地や建物を購入したがる日本人に、こちらの事情をよく説明せず買わせて、苦情を 言っても知らんぷり-といったケースも、ちょくちょく耳にします。
 いずれにしても、ちょっと情報収集すれば、あまり足を踏み入れないほうが良い場所、近寄らない方がいい遊びなどの事情は分かります。せっか くの海外旅行や海外暮らしが台無しにならないよう、それぞれの地域で事情を知った人に、よく確かめましょう。ウブドは他のエリアに比べ格段に 安全ではありますが、それでも注意するに越したことはありません。若干でも私が、そのお役に立てれば・・・と思うのですが。

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